自己主張の練習をもっと行わなければならないと思う。絶対服従の我慢か破局的な全面戦争か、コミュニケーションはその二択ではない。

自分と立場の違う人と接触することは、ただ日常を過ごしていてもかなり多いです。

私は今の高校生の流行りは知りませんし、コンビニの外国人店員さんが何を考えて働いているのかも分かりません。

そもそも、人は全く異なるバックグラウンドを持って人生を生きており、考え方、情報、富、あらゆる角度で全く違う人間です。

しかし、人間はそれを表現する言葉という文明と文化を持っています。

ただ、実際にはこの道具があまりうまく活用されていないような気がしています。

まず、人は自分以外にほとんど興味がありません。しかも、自分が生きるのに必死で注意を向けることもできません。

したがって、自分が思っているほどに自分の意図は伝わりません。

さらに言葉にした場合でもその使い方が甘いために言葉の真意や正確な意味を伝えられないこともかなり多いです。

例えば、相手に配慮するあまり言い方がと思わしになれば、本人は伝えたつもりが、全く伝わっていないどころか逆の意味になることもあります。

面白いやり方ですね。とか、ユニークですね。とかがその典型でしょう。

また、受け手という伝える側のコントロール不可の要素もあります。

そもそも意見対立にあまりなれておらず、かつ、自己肯定感が低い人であれば、ちょっと反論が出るだけで、否定された、この人は敵だとなり建設的な討論ではなく、政治闘争になります。

コミュニケーションの世界は本来勝ち負けの世界ではなく、利害の調整が大部分を占めます。

そもそも伝えることに勇気がいる。伝え方もなれてない。受け手も意見を言われなれていない。

こういった状況では言葉が、その潜在能力程度には発揮されていないと思います。

意外と伝えてみると解決できたり、配慮してるもらえることも意外とあります。

しかし、例えば上司にそれを言うのは勇気が要ります。上司は反論にはなれておらず、大概の場合大きな反発にはビックリします。

人によっては普段から意見をいう人と認識されており、受け入れられる場合もありますが、そうでない場合、びっくりして、過激なリアクションがあり、余計いいづらくなる、ということもあると思います。

例えば、君の仕事凄く助かってまた頼みたいけど、ここだけこうしてくれるとさらに素晴らしくなると思うけどどうかな?

といった形で相手に一定の配慮をしつつ、自己主張もしなければなりません。

これ1回ではダメで、さらに人によって言い方を変えなければなりません。

言葉の裏を読む経験、発想がない人にはこの言い方では何も伝わりません。

人によって区別する。

これは、非常に重要な作業で、しかも繰り返してチューニングが必要です。

受け取る側にも、回数を重ねてリアクションの練習を促す必要があります。

やけにプライドの高い人は、大概の場合自己肯定感が低いため、反論に特に敏感です。

こう考えると、自己主張の練習はもっと行わないといけないと思います。

言葉を使いこなせば、絶対服従か全面戦争かという二択の思考を抜け出し、より多くの人に最適な解を産み出せると思います。

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