2023年6月28日

エチオピア2日目。


午前3時に起床。4時間ほど寝た。40分ほどで準備をしてからタクシーで電車の駅まで送ってもらった。タクシー代1150burr(約3000円)を支払い、駅に着いたのは朝4時50分頃。


警備員の人がいたので「アディスアベバ行きのチケットは買える?」と質問すると「早いな。5時になったら受け付けの扉が開くはずだ。」と答えてくれた。ワクワクしながら待つが一向に扉が開く気配はない。「遅くない?」と思いながら待っていると別の警備員の人がいたので「何時になったらチケットを買うことができるか教えてくれない?」ときくと、「6時になったら買えるはずだ」と返答をもらう。「いや、はじめの警備員のひと適当すぎやろ笑」と思いながら待った。


待っている途中に野良犬が2,3匹いてそのうちの1匹がずっと付いてくる。日本ならかわいいな、と思えるのだがここはアフリカのエチオピア。狂犬病の予防接種はもちろんしていたが、噛まれて狂犬病になったらほんとうに死ぬし、野良犬の衛生面も考慮すると触ることもできない。


幸い、その犬は凶暴な野良犬ではなく、私のそばにいて食べ物を欲しそうにしているだけだったが、待ち時間のあいだ、英語の文法の勉強をしたくても野良犬への警戒心がチラつき、集中できない。正直邪魔で仕方なかった。犬に「邪魔」という感情が湧いたのははじめてだった。


犬への意識がチラつく中、午前6時になった。警備員の人が「受け付けでチケットが買えるはずだ。行ってみろ。」と伝えてくれたので、受け付けに行った。パスポートとe-visaをみせるとすぐにチケットを発行してくれ、念願のアディスアベバ行きへのチケットを購入することができた。あとは、電車に揺られるだけでアディスアベバに行くことができる。少しほっとした。


朝のディレ・ダワ駅(エチオピア)の様子


駅のなかでは、1時間ほどで乗車するひとたち全員の荷物検査などの手続きを終え、私はベンチで電車の出発時刻まで待っていた。すると、見覚えのあるおじさんが「Good mornig.」と私に話しかけてきた。


そう、昨日「23時にもう一度同じ場所に集合しよう!」と言ってくれたおじさんだ。「あ、約束破ってたし終わった」と思っていると、「昨日なぜ集合場所にこなかったんだ?待ってたぞ。なにかあったのか?」とおじさんは私に尋ねる。「おはよう。昨日はほんとうにごめん。アディスアベバ行きの夜行列車はないときいて、自分が騙されているんじゃないかと思って集合場所には行かないことにしたんだ。待ってくれていたのにほんとうにごめん。」と正直に話し、謝罪した。


するとおじさんは「いいんだ。大丈夫だよ。それよりここにくるまでのタクシー代はいくら払ったんだ?」と私に質問してくれたので、「1150burr(約3000円)だよ」と答えた。するとおじさんは「それぼったくられてるぞ笑」と相場は200burr(約500円)だと教えてくれた。まじか笑 と思った笑 そのおじさんと少し話をして、「今日アディスアベバに行くんだな。気をつけて行ってこい。楽しんでこいよ。」と言ってくれた。昨日約束を破ってしまったのになんて優しいんだ! とおじさんの心のひろさに感謝しながら、「ありがとう、行ってくる!」と伝え列車に乗車した。


列車は定刻通り、朝の7時30分にアディスアベバへと動き出した。列車で同じ席になったのは同い年の男性。アマリ語という言語を話すらしく、お互い同じぐらいの英語力で話す。


その男性とゆったりと時間を過ごすことができた。彼が好きなエチオピアのシンガーの曲を流してくれたり、エチオピアのお菓子?であるコーンの種みたいなものを少し分けてくれたり、彼が持っている自分の車(ハイエース)でドライブしたときの写真を見せてくれたり、、、ずっと話していたわけではないが、優しさや親切心、紳士的な行動が垣間見えて有意義な時間を過ごすことができた。また、ときおり10歳ぐらいの少女が自分達の席に遊びにくる。言葉はあまり通じないが、私が持参してきたホワイトボードで一緒に絵を書いたり、アマリ語について教えてもらったり、心が和んだ。


列車で同じ席になった同い年の男性


列車から見える景色は前日見た景色と似ていて、どこまでも続く草原、たまに集落と思われる家が見え、何度も車窓を眺めては感動していた。


朝7時30分に出発してから約10時間が経った17時30分頃、名残惜しさを残したまま、アディスアベバの少し手前のadamaという駅で同い年の男性とはお別れした。


それから2時間ほど経ち、出発してから約12時間が経った19時すぎ頃、やっとアディスアベバの駅に着いた。時間にするとかなり長く、お金があれば飛行機で2,3時間で行くことができ、着いたあとの選択肢も広がるということを痛感した。お金というものは多くのことを融通が効くようにしてくれ、行動の幅も広がる。十二分にお金を持ち合わせておくことの重要さを痛感することができた。


夜のアディスアベバ(エチオピアの首都)駅の写真


アディスアベバの駅で手荷物検査が終わったあとは、タクシーに乗り、アディスアベバ市街に出る必要があった。タクシーの客取りで焦っている様子の男性が「俺のタクシーに乗れ」と声をかけてきた。あまり信頼できないなと思った男性だったが、2人定員でプライベートが確保しやすそうなタクシーだったため乗車した。かなり疲労困憊だった。


アディスアベバの駅からアディスアベバの空港までは8~10kmほど。空港までの道路は、交通量、歩行者の横断が多いのにも関わらず街灯が少なく、暗い。「よくこんな道で事故をせず運転しているな」と思えるレベルの道路状況であった。タクシーの人もあまり信頼できないので自分も運転手のつもりで助手席から道路をみていた。「自分の身は自分で守る」を実感できた。


20分ほどで空港につき、1320burr(約3500円)を払う。このとき時刻は20時20分ごろ。宿はまだ確保できていない。


空港泊を試みたが空港にはe-チケットがないと入れないシステムになっており断念した。かなり疲弊していたが、宿がないことには今晩を過ごすことは難しいので、空港から200mほど離れたところにいた2,30代ぐらいのお兄さんたち3,4人に「このあたりで安いおすすめのホテルはある?」ときいた。すると「安いホテルを探しているのか?一緒に探してやる。なにか助けになれることがあったら言ってくれ。」と言ってくれた。ただ単に親切なのか、見返りを求めているから親切なのかはわからなかったが、悪い人ではなさそうだったので一緒に宿を探してもらうことに。


お兄さんたちと話しながら500mぐらい歩き、彼らは私の代わりに何件かのホテルに入り、宿泊料金をホテルの人にきいてくれた。疲労困憊で私の英語力も十分なものではないので、ほんとうに助かった。


同じ要領で彼らは近くにいたタクシーの運転手に、「この日本人が安くていいホテルを探してるんだ、そこまで案内してくれないか」と伝えてくれていた。タクシーの人は、「安くていいホテルか?連れて行ってやる。乗れ。」と言ってくれた。そこから4,500mほど離れた場所のホテルに案内してもらえ、なんとか今晩のホテルを確保することができた。


そのお兄さんたちへお礼をあげるのがこの土地の文化なのかわからなかったが、なにかお礼としてあげたほうがいい雰囲気に感じられたため、100burr(約262円)をお礼として渡した。そのときは1burrが日本円で何円かも確かな情報を得れていなかったとはいえ、今思えば少ない金額で申し訳なく思っている。お兄さんたちとタクシーの運転手の方、ありがとう。ほんとうに助かりました。


無事にチェックインし部屋に着くと安堵した。ジブチのNagad駅から始まった危険と隣り合わせの2日間にやっとひと段落がついた。


アディスアベバは過ごすにはかなり便利に感じた。ホテルにはWi-Fiもあるし、シャワーもお湯が出る。部屋は綺麗だし、朝食もついている。また、空港も近いので、資金のことも考慮しながら、航空券さえネットで買えば、空港に向かい、一時帰国できるという保険もある。


第1回目の旅の大枠が見えた気がして、精神的にもかなり救われた。そして、エチオピアで使えるSIMカードを契約できておらず、携帯を使えない状況だったので、2日間ほど母に連絡することができていなかった。ホテルのWi-Fiを使い、母に連絡することができ、ひとまずは生存確認の連絡ができたことに安心した。


出国前、家族や友人に「できるだけ生存確認の連絡するわ」と言っていたが、一つ判断を間違えれば命を失う危険性が高まる可能性があったここまでを振り返り、「生存確認の連絡」の言葉の重みをより深く実感することができた。


空港泊はできないため宿代は継続的にかかる、現時点で海外で収入を得ながら生活していくこともできていない、といった、現時点での資金的なことを考え、このときにはどのタイミングで一時帰国するか、といった意識も頭の中でチラつきはじめた。


「明日の朝にしっかり考えよう」と思い、この日はベッドに横になった。常に危険と隣り合わせの2日間がひと段落し、この日は久しぶりにしっかり睡眠時間を確保することができた。

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