書き初め-どこにでもある物語

※この物語はフィクションです。実際の人物・団体・事件とは一切関係ありません。また、一部センシティブな表現を含む場合がございますのでご注意ください。


 そういえば喪中だった、と思い出したのは年の瀬になってからだった。離れて暮らす母親から、年末に法事があるから帰ってくるように、というメッセージが来なければ、恐らく今年も帰省などせずにこちらで過ごしていたに違いない。留年が決まったこともあって、実家に帰るのが何となく億劫に思えていたのもあるし、そもそも帰ってもやることがない。大晦日の特番を見て、その後に少しばかり性欲を発散して寝るだけ。別に普段と何も変わらない、むしろ電車賃の分だけ無駄だ。
 だが、そう母親に主張してみても。
「そんな寂しいこと言わず、帰ってこい」
 とばかり返され、親の言うことに反発し続けてもな、という思いから結局僕は渋々終電で帰ることにした。実家にいる時間を少しでも減らしたかったから、帰りも始発で出ることにした。

 慌ただしい帰省ラッシュの渦を潜り抜け、指定席に着く。帰りの特急の中で、ふと思いを馳せる。そういえば今年の始めは、もっと唐突に実家へ帰ることになったな、と。
「おじいちゃんがもう長くないかもしれない」
 母からそんなメッセージが来たその時、いよいよ刻限なのだ、と僕は少しばかり覚悟を決めていた。

 父方の祖父がALS、筋萎縮性側索硬化症になったのは、今から数年前のことだ。有名な物理学者のスティーブン・ホーキングと同じ病気、或いはアイス・バケツ・チャレンジの寄付先がその患者の支援団体だ、というのが一般的な説明だろうか。
 僕が大学に入ってしばらくして、一回生の夏に実家へ戻った時にはもう、病魔が祖父を蝕んでいた。久しぶりに帰ったいつもの家に、見知らぬ歩行補助のための机が置かれていた時の衝撃は、今でも忘れられない。幼い頃はいわゆるおじいちゃん子で、よく祖父に懐いていたが、そのときに見ていた祖父の背中はもう見る影もなく、老人然とした弱弱しい足取りで自分の寝床とリビングを行き来するその人を、僕はどこか痛々しい眼差しで眺めていた。
 帰省の度に病状は悪化した。次第に祖父は立てなくなり、三回生の夏に帰った時は、まだ健康な祖母の手を借りなければ座ることも、食べるために箸を持つこともままならなくなった。
 そして、段々と口数も減っていった。最後に祖父の声を聴いたのはいつだっただろうか、思い出せない。喋るための体力すら、捻出するのは難しかったのだろう。
 だから、もうそろそろだ、と心のどこかでは思っていた。そして年始、三回生の冬に届いた母からの宣告は、僕に残された時間の短さを意識させることになった。テスト期間だから今は帰れないが、次に帰省する時にはもう少し祖父と話そうか、などと気持ちを固めた。思えばこの時、そうやって理由をつけて先延ばしにせず、帰っておけばよかったのだ。
 それから数時間。部屋でくつろいでいたら、突然僕の携帯に着信があった。見慣れた、母の電話番号だった。残されていた時間は、あまりに短すぎたのだった。
 涙声になりながら掛けてきた母の声に、僕は着の身着のまま電車へ飛び乗った。
 三時間ほどで実家に着いた。思ったよりは落ち着いた雰囲気の家中を進み、最奥の仏壇がある部屋へ向かう。御仏の前には、医療ドラマなんかでよく見る光景が鎮座していた。畳の上に敷かれた白い布団に寝かされ、白い布が顔に掛かっていた。傍らには母と、祖母。目には涙こそ浮かんではいないが、表情は硬い。こうやって自分と近しい人の遺体に相対するのは初めてでは無かったが、未だにこの重々しい雰囲気には慣れなかった。
 母に促され、白い布をとって故人の顔を拝んだ。生前、昭和天皇と並んで映っている写真のマッカーサー元帥によく似ている、なんて言われていた顔には死に化粧が施され、顎元は布で押さえられていた。その顔を見た時、僕の心に浮かんだ感情を何と表現すればいいのかは分からない。ただ、悲しくて涙を流すだとか、これまでの思い出に感慨にふけるだとか、そういうことでは無かった。言うなれば、ああ、死んだのだな、と思っただけだった。
 目は閉じられ、苦しんだ様子もなく、安らかに召されたのだと分かる顔をしていた。まさに眠っているようだ、という表現がしっくりくる。しかし、明らかにそれは本当に眠っている人とは異なっている。息をしていないだとか、そういう目で見て分かる違いではなくて、細かな表情の違いといった、そういう機微が、死と眠りを分かつしるしを放っていたように思えた。
 だから、僕が祖父の顔を見てまず感じたのは、ああ、確かに祖父は死んだんだな、という事実だった。それからややあって、安らかそうで良かった、という一言が僕の口を次いで出た。それが本心だったかどうかは、今となっては僕にもよく分からない。傍らにいた母に、何か声を掛けてやらねばという思いから出たものだったかもしれない。
 あの場にあった僕にとっての「本当」は、死そのものだけだった。

 列車はまだ動き続けていた。切符と現在時刻を照合する。どうやら、まだ二時間以上も座席で揺られていなければいけないらしい。こんなことならば暇つぶし用の道具でも持ってくるのであった、と僕は少し後悔した。窓の外の景色に目を遣ろうにも、闇に浮かぶ田舎町の光景に、ろくに見るものなどあろうはずも無かった。それでも、闇の中を行く光の粒をぼんやりと眺めていていると、やはり先ほどまで考えていた祖父のことが思い出された。
 僕はついぞ、祖父の死について何も負の感情を抱くことは無かった。覚悟した、だの、気持ちを固めた、だのというのは、いずれ来るべき死に対して先に悲しんでおこうなどという殊勝な心掛けから生まれたものではなく、ただ単に、ああ、この人は近いうちに死ぬのだな、という現状からの推論があったというだけにすぎない。そこには一切の心の動きはなく、単なる事実の認識があっただけだ。辛さも、苦しさも、悲しさも、怒りも、悔しさも、何一つそういった感情は湧いてこなかった。
 そして、祖父が死の間際に孫の顔を拝んでおきたかったと思うぞ、と父母や祖母に言われると、何だか加えて自分のことが爺不孝な孫に思えてきて、本当にお世話になったのにこんなのに育ってしまってごめん、と思わざるを得なかった。
 ろくに勉強もさせてもらえなかった幼少時代を経て、それでも培った技術と才能で会社員時代は評価されたという立派な祖父を、僕は勿論のこと敬愛している。だからこそ、何だか自分の内面を省みた時、祖父に顔向けできないことが歯がゆい。
 僕が今際の際でまた祖父にあった時、何といって説教されるだろうか。或いはただ悲しそうな顔を浮かべるだけか。どちらにせよ、あるべき人の姿を体現して死んでいった祖父に、何だか申し訳がなかった。
「死、か」
 窓の外を見ながら、ポツリと呟いてみた。大学に入ってから人の死と向かい合うのは、これで二度目だった。
 自然と、僕は最初に死へ直面したその日のことを思い出していた。忘れもしない、僕が二回生の夏。僕が住むアパートの隣室で、先輩が自殺したのだった。


 その日はたまたま用事があって、隣県まで出かけていた。うだるような暑さから逃れて住居へ戻ってくると、途端に暑さは鳴りをひそめ、空は徐々に曇り始めていた。
 アパートの入り口が、何だか騒がしかった。郵便受けの前に数人の人が立っていた。顔を見れば、ここの住人たちであることはよく分かった。何かもめごとだろうか、しかしこんな場所で珍しいな、などとそれを横目に部屋に帰ってくると、なにやら隣室も騒がしい。部屋の前に数人の人だかりができている。それを構成していたのはこの階の住人だけではなく、いかつい制服を身に纏った険しい目の女性が一人、その中心に立っていた。
 人だかりの端にいた、見知った顔の中年に聞く。
「何かあったのですか」
 彼は何も言わず、ただ首の前を指で締めるような動作をした。瞬間、僕は全てを悟った。そして、ひどく混乱した。彼がそんな凶行に及ぶとは、想像もしていなかったからだ。

 このアパートは、僕が通う大学の近所にある。だから、必然的に住人の多くは学生だ。特に僕の住む階は、全員がそうだった。だから、住人同士の仲もそれなりに深くなるのは不思議なことではなかった。
 隣室の先輩とは、それなりに互いを知る関係になっていた。物理学系の院生だったが、哲学や文学への造詣も深い人だった。僕がクトゥルフ神話について調べていたある時には、ラブクラフトの小説は面白くない、書き方が回りくどすぎる、なんて言ってそこからちょっとした議論にも発展した。或いはユーモアにも富んでおり、時折飛ばすジョークには底知れぬ知性が現れていた。華奢で物腰柔らかそうな見た目にたがわない、賢くて、優しい彼のことを、僕は尊敬していた。
 その日の前日も、僕と、僕の二つ隣の部屋と、三つ隣の部屋の住人が、隣室に集まって麻雀に興じていた。大きなアガリも無ければ、誰かが箱割れになるようなこともなく、つまりは平坦な試合で、言ってしまえばつまらない勝負だった。それでも、彼らと過ごす時間はとても楽しいもので、それ自体に価値があったと言えるだろう。
 特に変わった様子など、無かった。普段通り、平穏な時間が過ぎていた。だから、こんなことが起こるなんて、僕は全く思っていなかった。
 
「じゃあ、そこのあなた。変わった様子とか、無かったですか」
 人だかりの中の婦警は、いつの間にか僕に向かって質問していた。混乱でぼうっとしていたら、いつの間にか事情聴取が始まっていたらしい。
「いや、まったく。全然。昨日麻雀打ってた時もそんな風じゃなかったですし」
 しどろもどろになりながらそう答えると、彼女は矢継ぎ早に問いかけた。
「麻雀って、確か、順位付きますよね。何位だったんですか」
「えっと、先輩がってことですよね。まあ確か、プラス五で二位だったはずです」
 すると、相手は顔をしかめた。
「二位、ですか。そう……」
 まさか、麻雀の順位がそれに直結しているとでも考えているのか。彼はそんな人ではあるまい。そう思ったが、プロの捜査の方法に素人が文句をつけるのも気が引けて、僕は口をつぐんだ。
 やがて人だかりは散っていった。僕の二つ隣の部屋に住んでいた、僕と同学年の男の子が第一発見者だったらしく、警察で改めて事情聴取を、ということで連れていかれた。夜になって彼は帰ってきた。ちょうどコンビニに買い出しに出かけようと思っていた僕と、解放された彼はすれ違った。おかえり、と一言声を掛けると、彼は突如その場でうずくまり、声を上げ、涙を流し始めた。
 屈強で、体育会系に所属している彼は、初めて会った時から芯の強そうなしっかり者だと思っていただけに、そんな姿を見るのが意外で、どうしたらいいのか僕にはわからなかった。その場で立ちすくむ僕に、彼は謝りながら立ち上がって、立ち去った。僕はしばらく、そこから動けなかった。
 
 後から聞いた話によれば、二つ隣の部屋の彼は、前日、隣室に忘れ物をしたのに気づいたらしく、それを取りに行くために部屋を訪れたらしい。ノックしても返事がなく、鍵がかかっていないのを不審に思った彼が部屋に入り、キッチンスペースを抜け、リビングの扉を開くと、その部屋の主はそこに座っていた。否、彼の足は投げ出され、目は宙を睨み、首にはロープが掛かり、傍らのベッドにその一端が結われていた。慌てて彼は階下の自販機までAEDを取りに走り、同時に警察と消防に通報。両方が到着するまでの処置をたった一人で行っていたのだそうだ。
 そこから、数時間に渡る聴取だ。非日常も極みのような状態で、いくら性根がタフでも、折れない方が無理だっただろう。むしろ、よく一人でそれが出来たと思う。僕以上にその人に懐いていた彼のことを鑑みれば、その念はより強く感じられた。
 
 列車は尚も動き続けている。スマホに表示された現在時刻は、あと一時間ほどで旅の終わりが来ることを示していた。
 窓の外を眺めながら、夭逝した先輩のことを思った。生前には知る由も無かったことだが、彼は重度のうつ病で、向精神薬を処方されていたのだという。そして、時々僕の三つ隣の部屋の後輩(僕にとっては先輩にあたる人なのだが、亡くなった彼にとっては後輩)に色々と相談事をしていたらしい。死ぬ前日、麻雀が終わり僕と僕の同級生が帰った後もそれはあったという。何が話し合われたのか、どうなったのか、詳しいことは何も知らない。それが原因で死んだのだとも思えない。
 ただ、僕に分かったことは、僕は彼のことを何も知らなかったということだ。明るくて、優しくて、賢かったその人は、実は深い闇を抱えていて、僕はそのことを知らなかったのだ。だからこそ、死の間際、彼が見た世界はどんなものだったのだろうか、そんな疑問が僕の頭をよぎった。
 例によって、彼の死に悲しさを覚えることは無かったが、その疑問だけは、当時の僕の心を掴んで離さなかった。胸にぽかっと空いたその黒々とした穴が、昼夜僕を支配していた。今でも、答えは出ていない。
 特急は、いつの間にかトンネルに入っていた。灰色の壁面が窓の外を飛んで行く。目を遣れるようなものは、相変わらず存在していなかった。まだ、思索をする時間は残っていた。
 彼が死の間際に見た世界は、どんな世界だったのか。
 僕にはまだ答えは出ていない。だが、その一端を歩いてみることくらいなら、僕にも出来る気がした。今から少し前、留年が決まった四回生の春のことを、僕は思い出していた。
 

 突然、何もかもが嫌になったのがそれ位の時期だ。留年するかもしれない、という事実が目の前に立ち現れたその時からある程度覚悟はしていたが、しかし現実にそれが固まった時、僕は将来に対する強い不安を覚えた。趣味も対人関係も、僕をこの世に繋ぎ止めておくほどの絆しはもはや存在していなかった。何とかして「ここ」から逃れたかった。今にして思えば留年したくらいで何を、と思うのだが、当時の僕からすればそれは重大で、人生の全てが終わってしまったかのような感覚だけが眼前にあったのだ。
 だから衝動的にコンビニでカッターナイフを買って、腕を切りつけてみた。喉元を裂くことを試みた。寝台に昇り、自傷を始める。だが、腕の傷は浅かったし、喉にはとうとう刃を入れることが出来なかった。いざやろうとしたとき、怖かった。何か根源的な恐れが僕を支配して、実行させるのを拒んだのだ。
 逃げ出したかったのに、逃げ出せなかった。あらゆることが心底どうでも良くなった僕は、そのまま眠った。

 その後、親や教授と話し合い、一年の猶予で何とかなるということで事なきは得た。
 先輩が何にどれだけ苦しんで、絶望したのかは分からない。きっと僕が体験したことの何千倍も苦しい時間を過ごしたのだと思う。しかし僕も、慢性のうつ病では無いにせよ、死という選択肢を一瞬でも選びそうになった身であるわけで、それによってほんの少しだけ彼が見ていた世界を理解できた気がした。
 つまりそれは、真っ暗闇の中で、死だけが光を放っているような世界なのではないだろうか。怠惰に生きる、ニートになってでも生きる、ヒモになってでも生きる、そういう選択肢すらも塗りつぶされ、しかし死だけは燦然と自分を受け入れるように輝くのだ。だから、その光に向かってひた走ってしまいそうになる。
 だが、そこからその灯りに向かって跳ぶには、僕には何か欠けているのものがあったらしい。いや違う。正確に言うならば、ストッパーのようなものが働いているのだ。生から死へ踏み切らせるのを、押しとどめる役割の何かが。
 それを破壊するのは、もしかすれば真っ黒の絶望の世界に浮かぶ希望へ縋ろうとする、ある種の欲求なのではないか。うつに対して躁。陰に対して陽。マイナスの気持ちが死へ突っ込ませるのではなく、ほんのちょっとのプラス、人生最後の明るい気持ちが、自分自身を殺す重大なきっかけなのではないか。
 死は救いだ、とは冗談交じりによく言われる。だが、救済を受けることができるのは、死を救いだとまさに認識した人間だけなのだ。きっと、若くして自殺を選んだその人は、僕と違って心から「死は救いである」と「理解」したのだ。僕よりずっと長い時間を暗闇に置いた彼だから尚更だ。だから光へ飛び込んだ。だから非定型縊死を選んだ。だから死んだ。
 そういうことなのだろう、と僕は一応の結論を出した。正しいかどうかは分からない。精神病理学的にどうかなんて知らない。でも、少なくとも僕に見えた真実を、起きた事実に照らして故人の心中を推し量れば、そういう風に僕には思えた、というだけだ。
 誰に答え合わせをするでもない、僕の中だけでの納得。それだけで充分だった。

 しかし。そうやって結論を出した後、僕の中にはまた、新たな疑問が生まれていた。
 死を想い、彼の心を想像し、彼の足元には及ばないまでもその痛みの一端も体験してみたのに、彼の死に悲愴な感情を抱けない自分自身が、僕は不思議で仕方なかった。ここまで来てもまだ、他人の死を、ああ、死んだんだな、と冷静に見つめることしかできない。もちろん、他人の死を惜しみ、哀しみ、涙を流す人の心の動きは、理解できているつもりだ。だが、肝心の自分自身にその機制が備わっていない、ということが何だか気持ち悪いことのように思えて、何故なのだろうという疑念が湧いてきた。
 「死」をいくら理解しても、「死に伴う悲しみ」の概念は測れなかった。死と悲しみは表裏一体のものとして、僕の心にはインプットされていないらしい。他人と同じように苦しめない、それ自体が苦しいこととして、僕の心にまとわりついていた。


 あと五分で駅に着く旨のアナウンスが、車内に鳴り響いた。周囲に建物も少ない田舎町だから、線路の両脇も田畑ばかりで味気ない。それでも、あと数分もすれば都会染みた雰囲気の大きな駅が見えるはずだ。
 降りる支度をする周囲の人々を尻目に、何の荷物も出していない自分はただただぼうっと、死んでいった二人のことを思い出していた。
 目を閉じる。祖父と、先輩の顔が浮かぶ。老衰に伴う病気と、病気に伴う自殺。まったく違う二つの死に直面して、僕は、如何に自分が冷徹な奴であるかに思い至ることになった。苦しみ抜いて死んだ彼らに、何の感情も抱けないのは、実は欠陥ではないのか。だとしたら、僕はおかしいのではないのか。ならば、僕は治されるべき存在なのか。
 治す、と言ったって何をどうするのか。言葉でいくら説かれても、実体験で感じ入らなかった心が動くのか。或いは暴力や心理操作や薬で洗脳したとして、それは適正な治療なのか。全く以って分からなかった。
 そしてこんな風に考えたとしても、自分はこのことを、一生消えない罪として背負っていくしか他には無いのだろう、とも思っていた。この世の果てで、それが裁かれるか否かは決まる。それまでは、結局苦しめないことに苦しむしか道はあるまい。きっと自分の両親を看取っても、最愛の人を亡くしても、僕の心に波風は立たない。それがどんなに辛いことかを、誰かに分かってもらうのはきっと不可能だという確信が僕にはあった。そのこと自体も、僕の心を更に深く沈めた。
 電車がガタン、と音を立てて止まった。周囲の人々が一斉に降り始める。陰鬱な気持ちと、重たいカバンを背に、僕は駅のホームへと歩みを進めた。

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