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#009 クソジジイに振り回されて自分の人生を自分で決められない。でも好き

NiziUとかTWICEとか誰が誰かわからない。という話を授業中にしていたら、先生はおじさんですから。と大学4年生の受講生に言われた。
まさにそれ。もうその子にとっては私はクソジジイ。

先週の金曜日、日本語教師養成講座を修了して日本語学校の専任教師として働いている元受講生が遊びに来てくれた。留学生数が回復傾向で学校の活気が戻ってきたものの経営側と現場の教師側との考え方が全然違って大変だという話をしていた。
日本語学校によくある話。現場のことを全くわかっていない経営側と現場の教師との間に軋轢がある。

元日本語教師が経営側に入ると言う例は国内ではほとんどなく(海外では多々ある)経営側は元々何かを経営していた、あるいは公教育の教育委員会から日本語学校の経営側に回ってきている人も多い。

特に一般企業から日本語教師に転職した人の立場から見ると、この経営側の考えは本当によくわからない。
民間企業の経営側と社員との軋轢とは比較にならない。待遇の面でもそうだし、学生対応の考え方も全然違う。
日本の子供たちに対する公教育と、日本語が母語でなく価値観も文化的背景も異なる留学生に対する日本語教育とは当然ながら全然違う。

現場の日本語教師の悩みはここにある。
仕事は面白いし、学生もかわいい。日本語を教える仕事は本当にいい仕事。
そう感じていても待遇が悪い、サービス残業が多い、授業準備時間への対応などなど不平や不満がたくさんある。
これはひとえに経営側が現場の仕事のことを何もわかっていない、日本語教師のことを何もわかっていないということに原因がある。

話し合えばわかる。頑張っていれば待遇が改善される。
何とか経営側に理解してもらいたい。
こんな甘い考えは捨てるべき。
こんな話は15年、20年、いや30年前からずっと続いている。

日本語教師としてこれからも続けていくためにはどうすればいいのか?

全て自分で決めればいい。自分の授業の対価はいくらなのか、自分に合う教え方は何なのか、教える進度はどうなのか。
カリキュラムや教科書選定、授業内容、給料全て自分で決める。

学校が決めた意味不明なカリキュラム、使い勝手の悪い教科書、割に合わない待遇、何もわかっていないクソジジイに自分の人生を決められてたまるものか。


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