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【日記】デイトリッパー

286.空白へ逃るもぢずり追ひかけて片道で往く速歩で往く

"Got a good reason
For taking the easy way out
Got a good reason
For taking the easy way out, now"

(ちゃんと理由はあるよ
楽な方へ行くんだから
ちゃんと理由はあるよ
楽な方へ行くんだから、さ)

'Day Tripper' The Beatles, 1965



「僕は32で君は18で」
という書き出しからはじまる村上春樹の小説があるらしい。
らしい、というのは、ネット上での小説のレビューしか読んでいないから。
いくつかのレビューを擦り合わせると、「32歳のデイトリッパー」という題の短編小説に冒頭の文章が出てくる。そこに登場する「僕」は32歳の既婚者で、何人かのガールフレンドがいて、その中には18歳の女の子もいる。まだ世間を知らない若い彼女をつまらないと感じながら、確かに惹かれるところもあって、もう若いとは決して言えないが老いているとも言い難い自分の年齢に対しても、何となく締まらない態度でいる。そういうときにビートルズの「デイトリッパー」を聴くと、列車に揺られながら窓の外を眺めている気分になる。まとめるとこういう内容で、この時点で読んでみようという気はあまり起こらないのだけれど、僕もちょうど32歳だから、33歳になる前には読もうと思っている。
2000年にJ.K.ローリングの「ハリー・ポッターと賢者の石」という長編小説にはじめて出会ったとき、厚みのある本を10歳の自分が読み切れたという達成感に浸るのが嬉しくて、次の誕生日が来るまでに何度読み返せるか挑戦してみたことがある。結果として15回読み終えたところで11歳の誕生日を迎え、次の巻が出るのを待って、同じように読んだ。たしか3巻まではそういう風に読んで、4巻からは読んだ回数を記録するのに飽きて、わざと何章か飛ばして読むという方法を取った。そうすると物語の全貌が分からないから、何度読んでも新鮮な文章に出会うことができたし、読んでいない時に頭の中で話の展開が嵌って、深い感情の波に包まれることができた。人におすすめはできないけれど、今でもこれは僕の読書法のひとつになっている。
その時の経験は自分にとってとても良かったと感じていて、その一番の理由は、たまたま僕が主人公のハリーと同じ年齢だったために、彼の身体や言葉を借りて世界とつながる感覚を得られたということだ。砂漠の真ん中に設置された井戸から水を汲み上げるように、1ページずつを慎重に(時には荒っぽく)捲っては飲み、その度にため息をついたり笑ったりすることは、僕にとって自分を育てるために大切なことだった。僕は他人とあまり話さなかったので、対話する時のニュアンスや表情の出し方は本から教わることが多かった(だからなのか、僕は何かあった時に即座に対応する力がとても弱い)。
年齢というのは一生に一度しか通過することができないから、そのとき読んで面白かった本はやはりそのときしか味わえない情緒があると個人的には思う。そういう貴重な時間を一緒に過ごした本は、今も卒業アルバムのようにしまってあって、もうじっくりと読むことはないだろうけど時々引っ張り出して埃を払ってやったりする。
今のところ、定期的にきちんと読み返していると言える本は、村上春樹の「ノルウェイの森」と尾崎翠の「こほろぎ嬢」だけだ。
あ、いや、灰谷健次郎の「兎の眼」も僕は好きです。


そもそもの目的は村上春樹が32歳の時に何をしていたかを知ることだったのに、小説のレビューを読んでいるうちにどうでも良くなってきてしまったので、気が向いたら誰か教えてください。
32歳の僕は昨日サンリオピューロランドに行ってきました。ひとりでサンリオピューロランドに行くというのは、恐らく村上春樹もやってないでしょう。なかなか楽しめました。
でも別にひとりが良い訳じゃない。

何かをはじめるには少し遅い気がするし、かといって同じ場所に骨を埋めるための標となるものがまだ出来上がらない、社会に対する責任というものから擬似的に逃れ得る時代なのかもしれないと思う。
いいじゃないか、僕は逃げられるところまで逃げてやる、責任と呼ばれるものの中に他人を馬鹿にできる力が含まれているなら、そういうものをいちいち抽出しては空に蒸発させる、そういうふざけた遊びをして、真面目な人たちに馬鹿にされながら生きてやる、と思う。

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