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真っ白な皿でいただきます [Footwork & Network vol.21 No.3]


今回のF&N。ゼミの同期であるよしこへのインタビューを通して他人や物事を素直にまっすぐ受け止めることの大切さを再確認できた。また、自分の嫌いだった部分が治りつつあることも実感できた。

よしこはゼミの他にも活発な活動で有名な広告系のサークルに所属しており、彼女自身も活発に活動している。また、彼女はサークルとゼミの他に海外留学という野望(それも実現間近)を抱いており、私から見たらとんでもなく活力に溢れている人間だと感じた。

そんな彼女の活動や考えを聞いて「頑張れ〜!」という気持ちになったのだが、一昔前までの自分は頑張っている人を見ても冷めた目や粗探しなどをしてしまい、素直に認めることができなかった。そんな人間は頑張っている人からすればそばに置いておきたくないタイプの人間であるし私だったらそばにいて欲しくない。

実際、私は過去に仕事で成果を挙げた友人を素直に認め、賞賛することができなかったことがある。人を認める。それだけのことができないと誰にも受け入れられず、最終的にはそんな自分が嫌になり、本当に残念な人間になってしまうということに今では気づけたのでだいぶ改善できた(と思っているだけかもしれないが)ので良かったが。


そもそもなぜそんな姿勢で他人を見てしまうのか。

それはプライドの高さや偏見にまみれていることが原因ではないか。かなり楽観的に考えれば負けず嫌いなのかもしれない。しかし、どちらにせよ他人を素直に受け止めて、リスペクトできないことは致命的であることは間違いない。なので、今のうちに良いもの、凄いこと、素晴らしいと感じたものを素直に享受する姿勢をさらに身につけたい。邪推したり、張り合わないで目の前のことを純粋に受け入れる感性を養うのである。そうでないと、これからの人生でいいもの、素晴らしいものと出会ったとき、無意識にそれらを否定してしまいそうだしそんな人生は嫌だ。


では、逆に目の前のことを素直に受け止める感性を手に入れるとどうなるのか。

人の頑張る姿や凄みを素直に感じることで自分を前向きにできるのではないか。

前述のように昔よりは他人を素直に認める力が付いたからか、今回のよしこへのインタビューではこの感覚をたくさん実感できた。

以前のように他者の頑張りを素直に受け止められない自分ではなく、よしこの姿を見て自分も動き出したくなるような刺激を得れたし、今回はそれをまっすぐ受け取れた。


過去の自分は偏見まみれの歪んだ受け皿しか持っておらず、他人の活力をそのまま頂ける受け皿が備わっていなかったのだ。

時には歪んだ受け皿も必要かもしれないが、なんでもかんでもその皿で受け取ると過去の自分のように偏見にまみれ、何も素直に受け止めることができなくなってしまう。目の前のことを素直に受け取るには純粋な受け皿が必要なのだ。

そしてこの受け皿が大事だと今回のインタビューで改めて実感できた。

これからの人生、たくさんの感動や刺激を受けることになるはずである。前向きな刺激を得るため、いい人生のためにもまだまだ大人ではない自分はいかにこの受け皿を磨けるかが鍵である。また、受け皿などと表現したが、要は他人や物事を偏見なく捉える姿勢を身につけたいのである。

しかし、偏見を完全に無くすことは難しい。なので、いかにこべりついた偏見を無くしていけるか。今回のインタビューで大学入学時よりも偏見がなくなった自分を改めて実感(まだまだ足りないが)できたので、これからもたくさんの人と出会い、気付き、磨いたで目の前のものを頂けるようになりたいと感じたF&Nのインタビューだった。

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