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イタリアで家族経営の宿に住み込みをした話[Footwork &Network vol.27]

2024/5/2から5/16までイタリアの「AL Vecchio Convento」に滞在した時のお話。

場所について

場所はイタリアのポルティコ・ディ・ロマーニャ。山中にある小さな村。ボローニャから3時間ほど電車とバスで乗り継いだ先につく。僕はフィレンツェから向かった。5時間近くかかった。

きっかけは僕の地元である埼玉のパン屋さんが紹介してくれたことがきっかけ。10年ほど前に修行していたらしい。僕がイタリアに行くならということで紹介してくれた。家族経営の宿で、アクセスが大変だけどすごいオススメだよという話を聞いていた。リアルタイムで、パン屋さんからメッセージで案内してもらいながら向かった。
確かに遠かったし、山の中だったが、振り返ると本当に行って良かったと思う。

宿について

「AL Vecchio Convento」先述の通り家族経営の宿兼レストラン。
マリーザとジャンニという夫婦が19世紀の貴族の邸宅だった建物を買い取って始めた。改修を繰り返して、今のようになったそう。
日本やイタリアでは「アルベルゴディフーゾ」と呼ばれている宿の業態らしい。

Al Vecchio Convnto 本館
まちには分館があり、ここ以外にも泊まれるように改修した建物がある。
キッチンやレストラン設備はここに集中している。
1Fのレストラン
夕食の準備中。暖炉や壁に架けられたワインボトル、フライパンがカッコよかった。
B1F テラス席
高低差がある地域のため、入り口から数えて地下にあたるスペースにテラス席が存在する。
自然に囲まれたテラスで食べるご飯は最高。ピザ窯もある。


B1F 屋内席
ここで朝食ビュッフェが食べられる。


開業当初はマリーザが女将、ジャンニはコックだった。
今は息子のマッテーオがコック長。女将は昔と変わらず、マリーザ。
宿に着き、挨拶するとすぐにマリーザに案内された。
「パン屋(仮名)から聞いてるよ!初めまして!」
何をどう聞いてるのかよくわからなかったが、言われるがままに部屋に案内された。

案内された部屋。3F
旅中はずっとドミトリーだったので、久しぶりの1人部屋に安心した。ベッドが大きくて感動した。

部屋に荷物を置くと、マリーザに「この辺りは自然の景色が良いから散歩してくれば」と言われた気がしたので夕食まで散歩をした。

山に繋がる道に出ると、建物の裏が見える。
建物が連なって建っている。すごい。
山に繋がる道。畑があった。
山に繋がる道を行った先には河と滝。
夏はみんなここで水浴びをするらしい。
大通り。村のメインストリート。宿が面している通り。端から端まで歩くのに5分もかからない。
山側の通りと反対側の道。

散歩が終わると夕食だった。ひとり旅でお金も無いのでビスケットばかり食べていた僕にとって、ここのご飯は強烈に美味しすぎた。しかも孤食だったので、マリーザや他の宿泊客と会話をしながら食事をすることも嬉しかった。
心と胃袋を掴まれた僕は2日目の夜に住み込みをお願いする文を入力したGoogle翻訳の画面を見せた。マリーザは携帯に映った文字を読み、「bene!(いいね!)」と言ってくれた。こうして、次の日から住み込みが始まった。
すごい嬉しかったが、冷静に思うとイタリア語も英語も全然できない日本人を住み込ませるマリーザ、すごいと思った。

初日に食べたパスタ
麺がもちもちで美味しかった
ジビエ系のお肉
デザート
賄いデザート 抹茶がのっている

住み込み生活について

朝は8時に起きて、一階のスペースで朝食を食べる。自分の朝食を済ませた後は自分の食器と宿泊客の食器を片付ける。1階の食器を2階キッチンに送った後はキッチンで朝食の食器と昨日の夕食の食器を洗う。大量なので、1時間ほどかかる。そのあとはお昼の用意。たいして調理ができないので、食器の用意や軽いトッピング、皮剥きなどをする。15時から16時ごろに昼食の片付けが終わると、19時ごろまで休憩。近所の子どもとサッカーや散歩をしたり、昼寝をして過ごす。19時になると夕食の準備。昼食のように食器の用意や皮剥きをしつつ、返ってきた食器を洗浄する。だいたい22時頃から23時頃に終わる。そして、寝る。
これが主な1日の流れ。たまに料理教室のお手伝いの日やペンキ塗りをしたり。2週間ほど経つと、配膳もさせてくれるようになり、お客さんと交流したりと楽しみが増えた。

住み込み時に住んでいた部屋。お客さん用の部屋ではなく屋根裏部屋に移動。かっこいい。
イタリアでペンキ塗り。

住み込みを通して感じたことについて、宿を始めた家族や関わっているスタッフを紹介しながら書いていこうと思う。

オーナーのマリーザと旦那さんのジャンニについて

左奥 ジャンニ・右奥 マリーザ
左手前 マッテーオ・右手前 ウッラ(マッテーオのお嫁さん)

女将のマリーザとジャンニは20代の時にこの事業を始めたらしい。今は70代だと言っていた。2人とも笑顔がとても素敵。言語が通じない僕にもとても優しくしてくれた。(マリーザは英語とイタリア語ができるが、ジャンにはイタリア語がメインだった。)
コック長を息子に引き継いだジャンニはのんびり過ごしていることが多いように見えた。杖を付いていて、歩くのは遅いけど挨拶するとニコッとして元気に挨拶を返してくれる。外や宿のロビーで新聞を読んだり、ご近所さんとおしゃべりをしていることが多い。
マリーザは今も現役。朝早く起きて、お客さんや家族、僕などと会話をしながら朝食をとる。朝ごはんの時はいつも「カフェとカプチーノどっち飲むの?」と聞いてくれる。夜も最後まで働く。ホールでオーダーを取り、配膳をする。お客さんが部屋に戻った、1日の終わりには宿のロビーでソファに腰をかけてテレビを見ている。マリーザに住み込みをお願いしたのはテレビドラマを見ているタイミングだった。笑顔でbeneと返してくれた。マリーザもジャンニも表情やジェスチャーが豊かで、それがなんだか安心した。日本語が通じない環境ならではの感覚だった。

マリーザの昔の写真。変わらない笑顔。
若い時のマリーザとジャンニ。偉い人に讃えられているように見える。

また、マリーザは宿の四軒ほど隣の建物に手作り図書館を作っている。常に誰かがいる図書館ではなく、誰でも入れて、誰でも借りられる図書館。イタリア語や英語だけでなくいろんな国の本がある。異国の地で誰かが残した日本の本に触れることができたのが嬉しかった。

マリーザの手作り図書館。
図書館の張り紙。欲しい本があったら、何か置いて行ってねと書いているはず。
日本の写真のようなものも。
昔のFIGAROが出てきた。

また、マリーザたち家族やスタッフと賄い料理を囲むときもとても幸せだった。食器洗いなどをしているとマリーザが「Mangia!(ご飯を食べな!)」と声をかけてくれる。ひとり旅で1人でご飯を食べることが多かった。なので、誰かと食卓を囲めることの幸せ。Buono!(美味しい)と言い合える人がそばにいることが嬉しかった。マリーザたちは会ったばかりの日本人を家族のような距離感で接してくれた。僕はその距離感がとても心地よかった。
団体客もこの雰囲気を感じていたのでないだろうか。宿や料理も素敵だが、マリーザとジャンニたち家族を中心に醸し出す温かみがこの宿の最大の魅力なのだと思う。

マッテ-オについて

コック長のマッテーオ。持っているのはキノコ。この宿で使う食材は近くの地域でとれたもの。

マッテーオについて紹介する。彼はマリーザとジャンニの次男。(長男も昔はキッチンで働いていたのだが、今は別のレストランで働いているそう。お兄さんもいいシェフなのだとか。)
ジョークと親譲りの笑顔が素敵なイタリアン。キッチンで仕事をしていたら、突然電話を渡され、「昔AL Vecchio Conventoで働いていた日本人スタッフに電話したから話してみて!」と言われ、マッテーオの携帯で会ったことない日本人と電話してみたり、日本語で「さかなくんの歌」を歌い出したり、黒電話を指差して「iPhone 15」と言ったりと、彼といるとたくさん笑わせてくれる。
ジョークも得意だが、料理も得意。イタリアでも日本でも見たことない創作系のイタリア料理がたくさん出てきた。
日本や世界の食文化を趣味的に研究しているらしく、「Koji(麹)を作ったけど見る?」と言って見せてくれたり、醤油や抹茶も調理に使っていた。宿が運営する料理教室の先生も担当している。(最初に記載した料理はマッテーオが作ったもの)

僕が来た時はデンマーク人の団体に料理を教えていた。小麦をこねて伸ばすところからパスタを作った。イタリア語ではなく、英語で説明していたを覚えている。

料理教室。この日はパスタ生地を自分で打つところから。
デンマークからの宿泊客が料理教室に参加。
大豆麹を見せてくれた。夕食終わりに発酵させていた。

また、日本文化にも詳しい。
ある日、食洗機を動かしていたらでお皿が割れてしまった。そのお皿をマッテーオに渡したら、ニコニコしながら携帯で金継ぎセットの画像を見せてきた。「金継ぎを知っているか?」と聞かれたので、「知ってるけど、やったことない」と答えるとマッテーオは「金継ぎするぞ」と言ってAmazonで金継ぎキットを購入していた。
次の日、金継ぎセットが届くとみんな興味津々。マッテーオは頑張って金継ぎをしていた。割れたお皿を見て、”金継ぎ”という選択肢が出てくるマッテーオに驚いたのを覚えている。僕は日本人だけと思い浮かびもしなかった。

マッテーオの金継ぎに他のスタッツも興味津々。
Amazonで届いた金継ぎキット。こんな気軽に金継ぎができるのも知らなかった。
マッテーオによる金継ぎ。頑張ったのが伝わる。

また、犬も9頭飼っている。そのうちの2頭はトリュフハンター犬。山に入ってトリュフの匂いを嗅ぎ分けられるそう。

マッテーオの飼っているワンちゃん。この日は二頭で山に入った。
スウェーデン人から来ているお客さんと一緒に山に。
ワンちゃんたちが嗅ぎ当てたトリュフ。
シーズンじゃないのに大きい。

ジョークやふざけている姿は子どものようだけど、料理や犬、仕事に対して楽しみながらも真摯に向き合うマッテーオがカッコよかった。
ある日、僕がマッテーオに「マッテーオはスーパーなシェフだね」と言ったら「ノーノー、俺は犬飼だよ」と照れながら言っていたのを覚えている。謙虚なところもかっこいい。

一緒に働くスタッフについて

このキッチンで楽しく働けたのは魅力的な家族だけでなく同僚がいい人だったことも大きい。キッチンにはイタリア人はマッテーオとニコ。他にはバングラデシュ人とセネガル人がいた。
ラドゥとフォイザーはバングラデシュから来た。2年目らしい。いつか故郷でイタリアン料理店を開くのが夢だとか。イタリア語はまだ勉強中だそう。セネガル人の名前はアマドゥ。5年目。イタリア語がペラペラだった。
知り合いのパン屋さんが修行していた時代からだが、いろんな国から来たスタッフと一緒に仕事をしてきた「AL Vecchio Convento」。
主要言語はイタリア語なので、言葉が通じない場面も多発する。しかし、マリーザとジャンニのように、みんながオープンマインドで関わってくれて、わからないことがあったらすぐに教えてくれる。仕事がない日にも、街に連れて行ってくれたり、散歩をしたり。言葉はわからなかったが、笑い合ったり、ご飯を一緒に食べることがコミュニケーションになるのだと直感した。

お昼の片付けが終わった後、ラドゥに散歩に行くぞと言われて出発。朝から働いた後に15kmほどのハイキングに連れていかれた。
ラドゥ、フォイザー、その友達と一番近くの街フォルリへ
バスで1時間かかる。
ビリヤニを奢ってくれた。

小さな村の家族経営の宿だが、スタッフも宿泊客もいろんな人がやってきて、賑わう様子が素敵だった。

さらに、毎年、世界中からシェフを呼んで料理を振る舞うマルシェイベントを村で開催しているそう。この日は村中にお客さんが来る。
マリーザたちが家族のたくさんの人を巻き込むエネルギーと多様な人と仕事ができるオープンな価値観が素敵だと感じた。

7月。今年のフェスの様子。10人以上の料理家を呼んでイベント。
いつか行ってみたい。

最後に

彼らの仕事について考えた。家族で仕事をしているマリーザたち。この宿が彼らの仕事場であり、家族のリビングのような場であり、客人にとってはお金を払う対象。ほぼ毎日、料理を振る舞い、全国から来るお客さんを全力でもてなす。僕も住み込み中にフルで休みがあったのは週に1日だった。しかし、彼らは楽しそうに仕事をしている。どうして彼らは楽しく働けるのか。
僕は彼らがこの宿を愛しているから楽しく頑張れているのだと考える。
マリーザやジャンニにとって、2人で始めた宿の仕事はライフワークのはずだし、人生そのものだろう。また、息子のマッテーオも大切な仕事だと思っているはず。そして、宿のスタッフもこの家族と宿が大好きだという。それは僕も同じだ。みんな、家族とこの宿が好きだから頑張れるし、楽しんでいる。その点がとても尊く感じた。そんなところに働き手も宿泊客も惹かれるのではないか。

そして、僕は思いを持って作られた場所が好きなんだと気づけた。「AL Vecchio Convento」 に人生をかけてきたマリーザとジャンニ。大変な苦労もあったはず。それを間近で見てきた息子のマッテーオが成長してコック長をしている。
そうして、「AL Vecchio Convento」は50年続いてきた。泊まる人からしたらただの宿かもしれないが、誰かの修行先であり、住み込み先であり、家族の居場所である。とても多くの思いが詰まった世界に一つだけの宿。彼らにしかできない仕事。彼らのような思いを持った仕事を僕もやれたら幸せだと感じた。

最後に、イタリア語も英語もできない日本人を泊めてくれたマリーザたちに感謝しかないです。
絶対にまたマリーザたちに会いに行きます!


Al Vecchio Convento について

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