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変わり続ける中変わらない僕らの旅を続けようか。

会場を出るときに、フライヤーではなくのど飴を渡されたのは初めてだ。しかも袋で。夕霧さん曰く、大正製薬に元V系バンドマンの社員さんがいるらしく、この日のために何かできないかという話からそうなったらしい。ありがてえ。

「こちら夕霧さんのお写真になりまーす!」と大正製薬の方が元気よく宣伝しておられた。

風弥さんと夕霧さんが「ヴイックスのど飴」の「イ」は勝手に小文字だと思ってたという話をしていて「じゃあどう発音するのが正しいんだろう」と、律儀に検証を始めていたけれど「志村けんが『だいじょぶだあ』のコントで歌っていた『ろくでなし』の合いの手」という最適解は、心の中にしまいこんだ。17周年おめでとうございます。これからもよろしく。

毎年5月の終わりから6月の初めにメンタルの不調に悩まされるので、この時期にデイジーの周年があることで、色々と助けられている。特に今年は例年より症状が重くなりそうな予感がしていたので、ライブが都内ではなく近場の川崎というのも非常にありがたかった。そして今回のツアーファイナルが川崎ということで、彼らには珍しく地元横浜をスキップすることになったため、秋のメンバープロデュースライブ5日間が、横浜に始まり横浜に終わるという「どんだけ地元が好きやねん」を発動することになったんだけど。この日程からあふれ出る地元愛も久しぶりだ。

人間、属性より人間性。それは、アンコールで「湿っぽくするつもりはないんだけど」と何度も前置きしながら、夕霧さんが亡くなったお父様の話をはじめたときの、メンバーさんだったりトレゾアさんだったりの反応に、改めて教えられた。特に私は、Reiさんときっかけは違えど似たような経緯で「人前で涙を流すことはない」と思っていた人間なので、そのReiさんが真っ先に涙を流していた姿を目の当たりにして、もう変な枷は取り払っていいのかなと。泣くことは悪いことでもなんでもない。それで人を釣ったりコントロールしようとしなければ。もしかしたら、子供の頃に「泣けばいいってもんじゃないぞ」で、悲しい時も泣けないように仕向けられた経験がある私だからこそ、相手が無防備に泣ける場所になれる可能性を持ってるのかもしれないし。

いつぞやReiさんが「港の見える丘公園から見えるガンダムがね、なんかシュールでいいんだよね」と話していた山下ふ頭のガンダムは、解体される姿もまたシュールで、地元民にネタを提供してくれている。同じ時期に風弥さんが話題にしていた開港資料館のたまくすの木は、バリアフリー化のための工事費用をクラファンで募っている。まゆさんが「(前にあった店の)残像はあるんだよ。でもなんだったか思い出せないまま、次の店に変わっている」と言っていた横浜駅の日常は、多分工事が終わったところで永遠に変わらない。そして私はこれからも「地元がすぎる!」と笑いながら彼らにツッコミ続ける日々を送ることになるのだろう。命は有限で、優しさも有限。当たり前がいつまでも当たり前ではないことは、このご時世で嫌でも思い知らされた。極論、挑戦したからこそ失敗できるし、後悔しないためには今を悔いなく生きるしかない。だから、何もせずに他人を嘲笑しているだけの人間に「SNSを世界規模の小学校の教室にしてんじゃねえよ」と毒づくぐらい、いいよね。こっちはいつだって真剣かつ大真面目に今を生きているので。そんなことを思った川崎の夜。

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