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人生笑ったもん勝ちやというファイナルビクトリーカッコカリや。

FEST VAINQUEURが活動再開一発目のライブを「FV」という仮のバンド名で行うことになったその日が、私が初めて見た彼らのワンマンだった。直前に事務所からの独立と、バンド名を巡って裁判になっていることはアナウンスされていたので、どういう顔をして出迎えたらいいのだろうと。ただ、ライブが始まればそんなことはどうでもよくて、インストアイベントや対バンで見ていた、私の知っているいつもの彼らがそこにいた。その時のHALさんのMCが今でも忘れられない。「桜並木の下で」を演奏する前に、バンドの復活を誰よりも報告したかった人が天国へ行ってしまったことを話しながら「なんで今やねん」と正直する嘆きを口にし「俺たちには色々な曲があるけれど、どんな曲においてもメロディーを大事にしてきた」と、現状話せることも話せないことも色々あるけれど、バンドの根幹、魂の部分は何も変わらないということをフロントマンとしてしっかり伝え、FVという仮のバンド名を「なんやったっけ?ファイナルビクトリーカッコカリやったっけ?」と、半ば無理やり笑い飛ばそうとするその姿。その時は「繊細さに裏打ちされた度胸のある素敵なお兄さんだなあ」と思ったけれど、今思うに感動的なMCに通訳が必要なあたり、やはり天然センサーに引っかかったというべきだろう。この後「サンパー(散歩をする人)のアイルはどうなん?」「お参りしてきたんですよ、あさくさでら(センソウジです)」「バタバタしててライブのオフショットととかないんやけど・・・でも楽屋のスイカの写真は撮ったで!」「クリスマスっぽいこと・・・あっそうや、ケンタッキー食べる!」と季節とご時世を反映した迷言を連発されることになるので。

天然の話はともかく。その日のHALさんの「メロディー」に関する切々とした話を聞いて、所属していた合唱団を辞めようと決意した。そこはみんなで自由に楽しいことをしましょうと言いながら、裏では監視と牽制と格付けが横行しているという、まあよくあるインチキ仲良しグループだったのだけれど、その矢印が自分に向いたまま固定されかかってんなあという気配を感じていた時に、あのHALさんのMCを聞いたのだ。メロディーは歌の土台、なんなら魂。土台がしっかりしていなければ、歌詞も歌も気持ちも何も乗りはしない。うちはどうだ。一度だってメロディーに、歌う人間に、目の前にいる誰かに誠実だったことがあるか。ねえわ。即答できた自分に笑いつつも、答えが出ているならもうやることは一つだなと、合唱団に辞めますと連絡を入れた。終演後の物販列で辞表したためるやつがおるかいという話なのだが、少しの時間も惜しかったのだから仕方がない。血の通ってない言葉で牽制し合う人間と、血の通った言葉を選びながらきちんと伝えてくれようとする人間。大事にすべきはどちらなのかは、わかりきっている。

それから2年後の2021年秋。流行病への対策を入念にしたうえで、FEST VAINQUEURとして赤羽ReNYに立つ彼らを見届けた。フロア後方にキラキラ光る妖怪ぬりかべがいることで有名な会場だけれど、そんなことはどうでもよくて、あの日私に勇気をくれた彼らを同じ日同じ場所で見たかったのだ。ただ、その数日前に「やってらんねーわ」なことが起こり、怒りに任せてエヴァの新劇場版を「序」「破」「Q」「シン」と勢いで完走してしまったのがまずかった。そう、そこで待ち受けていたのは、あの「アスカ文化アタック事件」だったのだから。うん、これこそファイナルビクトリーカッコカリか。人生笑ったもん勝ち、それでええやんというね。

そんなことを思いだしながら、彼らが生出演したBEAT SHUFFLEを聞いていた。生出演は9年ぶりだと言っていたけれど、相手が浅井さんだからか、実家のようにくつろいでいるメンバーがなんともおかしくて。そしてHALさんの天然が発動したときの三者三様のリアクション、ここでも健在なんだなと。この際春ツアー、デイジーの渋谷とツーデイズすることになるけれど、厚木サンダースネイク追加するのもありかもしれない。純粋にギリ地元と言い張れるエリアでFESTのワンマンが見れるというお得感もさることながら、あの幕のかわりにある仰々しいシャッター、関西人なら「閉店ガラガラーッ!」と、ついうっかりひとボケかましたくなるようなあいつに、メンバーがどう反応するかが見たいというアホみたいな理由だけど。でもね、会いに行く口実に事欠かない相手ほど、人生において最優先かつ大事にするべき存在もないので。さあ、自由になりにいきますか。

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