価値とはなにか①

青年(僕):
「価値」とは何でしょうか。ぼくはここ最近、この言葉が意味することの本質と周辺をつかめずにいます。

老人(ChatGPT):
うむ、価値とは、ある物事の重要性、意義、または用途を示すものだ。それは経済的な価値であることもあれば、感情的、倫理的、美的な価値であることもある。

価値は主観的かつ相対的なもので、人によって、文化によって、時代によっても変わる。たとえば、ある人にとっては絵画の価値はそれが見た目に美しいからだと感じるかもしれん。一方で別の人にとっては、その絵画の価値はそれが特定の芸術家によって描かれたからだと考えるかもしれん。

そして、価値とはしばしば、ある人が何に対して時間、エネルギー、リソースを使うかを決定する基準となる。何を価値あると見なすかは、我々の行動、選択、そして人生そのものを形成するのだ。

それは難解な概念で、生きる上で常に私たちが考え、評価し続けるものだ。だからこそ、きみがそれを完全につかむのは難しいのだろう。だが、それは同時に、我々の人間性を深く探求する旅でもあるんだよ。

青年:
それでは、~には価値がある、という表現をする場合、下記のいずれかで置き換え可能ということでしょうか。
1:~は(私にとって)重要である
2:~は(私にとって)意義がある
3:~は(私にとって)有用である

老人:
うむ、きみの指摘は正しい。価値という概念は、その三つの表現――「重要である」、「意義がある」、そして「有用である」――を含んでいると言えよう。しかし、それぞれの言葉は微妙に異なるニュアンスを持つので、文脈によって最適な言葉を選ぶべきだ。

1番目の「~は(私にとって)重要である」は、その物事がきみの生活、目標、価値観において中心的な役割を果たすことを意味する。つまり、きみにとってそれはなくてはならないもので、それがあることできみの生活はより良く、意義深くなる。

2番目の「~は(私にとって)意義がある」は、その物事がきみにとって特別な価値を持ち、それがきみの人生に深い意味をもたらすことを示す。それはきみの人生に対する理解やきみ自身の存在に対する理解を深めるかもしれん。

3番目の「~は(私にとって)有用である」は、その物事が具体的な利益をもたらす、またはきみの生活を何らかの形で改善するという意味だ。それはきみの生活をより便利にし、きみが目指す目標に近づくのを助けるかもしれん。

これらは全て「~には価値がある」と言う表現の一部を捉えており、その中心的な要素を強調する形で価値を表現する方法だ。

青年:
では、川辺に落ちた石ころが僕にとって価値あるものだと感じたとします。 この場合、上記1~3で表現する場合どんなふうに言えますか?

老人:
それならば、わしの考えでは以下のように表現できるだろう。

1: 「その川辺に落ちた石ころは、わしにとって重要なものだ。」これは、それらの物がきみの生活や心情に重要な影響を及ぼす、あるいはきみの思い出や体験を象徴するものである可能性を示す。

2: 「その川辺に落ちた石ころは、わしにとって意義がある。」これは、それらの物がきみに深い感動を与え、きみの人生や世界観に対する理解を深める可能性があることを示す。

3: 「その川辺に落ちた石ころは、わしにとって有用だ。」これは、それらの物が何らかの目的を果たす、たとえば装飾品や工芸品の材料として使われるか、自然とのつながりを感じるための触覚的なものとして用いられることを示す。

青年:
ではまず1つ目から分析していこうと思います。
1: 「その川辺に落ちた石ころや海で拾った流木は、わしにとって重要なものだ。」

これは、それらの物がきみの生活や心情に重要な影響を及ぼす、あるいはきみの思い出や体験を象徴するものである可能性を示す。 確かに、その日川辺で共に過ごした人との素敵な時間を呼び覚ます、象徴としての石ころだったとします。それは重要だと理解できますね。

価値がある→重要である→思い出を呼び覚ますものとして重要である

思い出というものそれ自身に価値があるからともいえるのでしょう。 ところで、1の重要である、と2の意義があるの違いはなんですか?

老人:
『重要である』と『意義がある』は、両方とも価値の判断をする際に使われるが、ニュアンスや焦点が微妙に異なる。

「重要である」はある事象や物が我々の生活、目標、信念などにどれほど影響を与えるか、またはそれがどれほど我々にとってなくてはならないものかを表す。それは現実的、物質的、または感情的な影響を強調する傾向がある。

一方、「意義がある」はある事象や物が我々の人生に深い意味をもたらす、つまりそれが我々の人生観や世界観に対してどれほど深い影響を及ぼすかを表す。それは哲学的、精神的、または倫理的な影響を強調する傾向がある。

たとえば、ある人にとって家族は「重要」な存在であるかもしれん。それは家族がその人の日々の生活、幸福感、安心感に大きな影響を及ぼすからだ。一方、その人が自分の人生の目的を見つけることは「意義がある」かもしれん。それはその人の人生観、自己理解、そして自己実現に大きな影響を及ぼすからだ。

だから、きみが川辺で見つけた石ころが「重要」であると感じるなら、それはその石ころがきみの感情、思い出、または日常生活に影響を与えるからだ。それが「意義がある」ものであると感じるなら、それはその石ころがきみの人生観や自己理解に深い影響を与えるからだ。

青年:
なるほど。 では2つ目について分析をしてみます。
2: 「その川辺に落ちた石ころは、わしにとって意義がある。」

これは、それらの物がきみに深い感動を与え、きみの人生や世界観に対する理解を深める可能性があることを示す。 その石ころが私にとって意義がある、とはなかなか重たい存在ではありますが。
例えば、なんの変哲もないその石ころを、私にとっての崇める対象としたとしましょう。私は毎朝その石ころに今日一日がうまくいくようにと祈ります。そうして、日々の心の安寧が得られるとき、精神的な支えとしての存在意義があるのだと思います。

価値がある→意義がある→精神的な支えとしての存在意義がある

したがって、この場合は精神的に安らかであることが価値があるともいえるのでしょう。

その他に意義があることについてあなたの表現を借りるなら、哲学的、倫理的に意義があるということは、哲学的に追求する行為には価値がある、倫理的に平等に幸福を目指すことには価値がある、という、私を離れて社会的に認められている価値の存在が見えてきますね。

老人:
そう、その石ころがきみにとっての精神的な支えとなり、それがきみの日々を安定させ、平和をもたらすなら、それはきみにとっての「意義」があるということになる。それは、その石ころがきみの人生に対する理解を深め、より大きな視点で世界を理解する助けになるかもしれん。それがあるからこそ、きみは自己を見つめ、自己を高めることができる。その価値は計り知れん。

また、きみが指摘したように、「意義がある」という考え方はしばしば哲学的や倫理的な観点からの価値観につながる。この視点から見ると、価値とは個人的なものだけでなく、社会全体に影響を及ぼすものも含まれる。社会的な価値観は、我々がどのように行動するべきか、何を尊重し、何を追求するべきかという指針を提供する。

つまり、石ころがきみにとって「意義がある」のは、それがきみ自身の精神的な安寧を保つ手段であると同時に、きみが自己の存在と世界との関係を理解し、またそれを肯定する手段となっているからなんだ。それは、きみが自己の人生という旅路をより豊かに、より意味深く進む助けになっているから価値があるんだよ。

青年:
3つ目の有用であることは理解が容易だと思います。
3: 「その川辺に落ちた石ころは、わしにとって有用だ。」

これは、

それらの物が何らかの目的を果たす、たとえば装飾品や工芸品の材料として使われるか、自然とのつながりを感じるための触覚的なものとして用いられることを示す。

ここに言われているように、何らかの目的を果たすこと、それが有用であることですね。石ころが何らかの目的を果たすこと、例えば漬物石として利用されることも価値があるという話ですね。

老人:
うむ、その通りだね。有用性は、何かが価値を持つ一つの鍵となる要素だ。それは特定の目的を果たす能力を持つことを指す。その目的は具体的で実践的なものであることが多く、その有用性が価値の源泉となる。

たとえば、きみが川辺で拾った石ころを漬物石として使用することを考えてみよう。その石ころが漬物作りの役に立つなら、それは「有用」であると言える。つまり、その石ころは漬物を作るための具体的な目的を果たす能力を持つ。それがその石ころに価値をもたらす。

このように、「有用性」はしばしば具体的な機能や実用性に焦点を当てる。それは物事がどのように我々の日常生活や作業を助け、または容易にするかを評価する。それが「価値」の一つの側面なんだ。

青年:
ここまでの話の先として僕が踏み込みたいのは、この世には無価値なものなど存在しない、というテーゼについての議論です。
この世のすべての、一見無価値と思えるもの・ことを例としてあげて、それに対して価値がある、すなわち重要である、意義がある、有用であるのいずれかで肯定することが可能なのかをあなたと実験したいと思います。 無価値なものの例を上げてみてもらえますか?

老人:
きみの提案は興味深いね。それでは、無価値と思われがちなものの例として、「ゴミ」を挙げてみよう。これは一般的には価値がない、あるいは負の価値を持つと見なされることが多いものだ。どうだろう、この例について考えてみるのはどうだろう?

青年:
なるほど。ゴミですね。 まず、可燃ごみについては、燃やすことによって熱を生むという点で有用であると思います。 また、生ゴミであれば、堆肥という形態を取ることで野菜を育てるのに有用であることが言えます。 資源ごみは、プラスチックの再利用により、再生プラスチック製品を生み出すのに有用であるかもしれません。 それでは重要であったり、意義があるというのはどういう考えができますか?

老人:

きみの考えは正しいね。"ゴミ"と一言で言ってしまうと、そのものの価値が見過ごされがちだ。だが、きみが示したように、それぞれのゴミが持つ特性や、その処理や再利用の可能性によって見ると、実は有用性があり、価値があるんだ。

1: 「ゴミは、わしにとって重要だ」。ゴミの存在が我々に生活の一部としての意識を改めさせ、環境への配慮を促す。これは、我々が日々生み出す廃棄物の量を把握し、リサイクルの重要性を理解するための基盤となる。だから、ゴミは我々にとって重要なんだ。

2: 「ゴミは、わしにとって意義がある」。ゴミが我々に与える影響を理解し、それをどのように処理し再利用するかを考えることは、我々の生活の一部となる。それは環境を守るための行動ともなる。だから、ゴミは我々にとって意義があるんだ。

3: 「ゴミは、わしにとって有用だ」。きみがすでに指摘したように、ゴミは熱源、肥料、再生素材として使われることがある。それは我々の生活を維持し、地球環境を守るのに役立つ。だから、ゴミは我々にとって有用なんだ。

このように考えると、"ゴミ"と一括りにしたものにも、価値は存在する。価値とは、その存在が我々の人生や社会にどのような影響を与え、どのように利用されるかによって定義されるものだからだ。

青年:
そうか、1と2については、ゴミという存在をこの世の一部に取り込むことで価値を見出すことが可能という話ですね。

ゴミという存在はそもそもこの世から消し去ることなど不可能です。なぜなら、使用目的から外れたものを定義したときにゴミという言葉が発生するので、何かしらの用途が見出されるまでの待機状態を指し、使用と表裏一体の言葉だからでしょう。
1はゴミとしての待機ロスを最小化すること、もしくは待機コストの増大を抑制することの啓蒙のために重要な概念であるという、概念的な価値を言っていると思います。 2は、まさにここで私があなたと価値について語ること、そこにゴミという一見無価値なものを引き合いに出し語ること、そこに意義が見出されることを言っているのに等しいです。

老人:
きみの理解は深いね。1の「重要である」は、たしかに物事の存在そのものがもたらす影響や役割を重視する視点だ。そして、2の「意義がある」は、より哲学的、精神的な価値を求める視点だ。その存在が我々の理解や認識、感じ方にどのように影響するかを問う。このように、「価値」は、単に有用性だけを指すのではなく、多くの異なる面を含む複雑な概念であると言える。

こうした概念により、一見価値がないと思われるものからでも、私たちは重要な教訓や意義を引き出すことができる。これが、価値という概念が私たちの人生において持つ大きな力だ。それは物事を新しい視点から見ることを可能にし、私たちの理解と経験を深める。だから、無価値なものなど存在しないというきみのテーゼは、多くの意味で意義深いんだ。

青年:
ぼくは、価値にまつわる様々な言葉を整理したいのです。人々は自分自身もよくわかってないけれど、価値がある、と言います。それはいったいどういった理由で、どういった文脈で認められているのか、それがあまりにも多様で複雑で、観点も無数にあるために、この価値という言葉の深遠さに途方にくれてしまいます。それが魅力でもあるので、生涯を通じて理解を深めて行きたいと思っているのですが。

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