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行く春や鳥啼き魚の目は涙

 ある種の魚は、他の動物に寄生します。
 深海性のアナゴやアマゾンの肉食性ナマズのカンジェロ、魚類ではないですがヤツメウナギ。こいつらは宿主になる動物の身体に穴を開けて、中身を喰っていきます。恐しいですね。しかし、こんなに攻撃的ではなく、もっと穏かな寄生者もいるのです。
 泪魚という小さな小さな、メダカよりも小さな魚がいます。哺乳類の涙嚢の中に棲む魚です。哺乳類の目の上を、涙液の上を滑るように泳ぎ、その動物の目に入ったゴミや虫を食べて生きています。夜になると涙嚢の中に戻り、眠ります。
 寄生する動物は陸生の大型哺乳類で、どのように繁殖して活動域を広げるのかは、今まで謎とされてきました。私たちの研究室ではこの泪魚を研究しています。
 泪魚は新大陸の偶蹄類などに寄生すると思われていましたが、最近人間を宿主とする種がいることが発見されました。宿主となった人間は自分の目の中に小さな魚を飼うことになります。
 目の上を魚が這っているなど、考えるだけで不快だし、視覚にも影響が出るだろうと思うのですが、以外にもそれほど気にならないとのことです。泪魚は瞳を避けて泳ぎますし、目に入ったゴミを掃除してくれるのはもちろん、これがいると視力が良くなるという言い伝えもあるのです。現地では狩猟、特に弓や銃を使う猟師は、泪魚を積極的に寄生させたがると言います。調査の中で、泪魚は眼球の眼圧を調整しているという結果も出ています。これが具体的に視力向上にどのようなに役に立っているのかは今後の研究次第ですが。
 さて、泪魚の繁殖ですが、人間が宿主である種類については少し判ってきました。泪魚は涙嚢の中で卵を産みます。
 しかし、卵は涙嚢の中で孵ることはありません。宿主の身体を出て一旦は湖のような場所に放たれる必要があるのです。
 泪魚を寄生させている人間は、この魚の産卵の時期になると、何ともいえない悲しくてやりきれない気持ちになると言います。空の輝きが胸に沁みる、悲しくて悲しくてやりきれない。親も友人も、夫も妻も誰にも打ち明けられず、判ってももらえないだろう心のうずき。やるせない、限りない虚しさ。今日も風の歌にしみじみ嘆く。この燃えるような苦しさは明日も続くのか。
 そういうときに彼らは居留地の近くの湖に出て、涙を流すと言います。湖面を鏡にして自分の顔を写し、ただただ涙がこぼれるにまかせる。このときの涙には泪魚の卵が含まれているのです。
 いったん湖に向って涙を流すと、心の憂さは晴れると言います。泪魚はどのようにしてか宿主の情動を操り、落涙を調整して繁殖活動に組み入れているのだと思われます。
 寄生生物が宿主を操って自分の利益になるように操作する事例は、カマキリとハリガネムシ、カタツムリとロイコクロリディウムのように良く知られています。哺乳類もトキソプラズマが鼠の行動を猫に食べられやすくなるように変えている症例は存在します。
 しかし、人間を情動の変化という形で操作して、繁殖のための行動を取らせる例は珍しく、今後の研究が待たれます。


(記: 2021-06-08)

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