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さまよう詩集

 私の部屋を詩集がさまよっていた。
 私は家を割と散らかすたちだ。そして物も多いので床に物が置きっぱなしになっているのもいつものことである。掃除はたまにしかない。
 それでもそんなに部屋を汚く、ほこりっぽくなっていたりはしないのだが、散らかって雑然として見えるのは確かだ。
 何が部屋を散らかしているかというと、やはり本だろう。私は本を沢山買うたちだ。
 小説も漫画も専門書もどうしようもないハウツー本も、興味を持ったものは何でも買うことにしている。読む速度が買う速度に追いつかないので、積ん読が増える。本は床に積んでおくことが多い。私の部屋が散らかる主な理由はこれである。
 私は詩集も買う。詩集は他の本と比べて、漫然と読むのが難しいので、積ん読される率が高い。さまよっていたのはそんな詩集のうちの一冊だ。何度か開いて、いくつかの詩を読んだ。気に入った詩句もあった。『ゲール、ゲールと叫んで呼べば、ゲールが来る。』という繰り返しの入る短い詩だ。
 しかし、読み通すこともなく、積んだままにしていた。
「あれ、この本はここに置いたかな」
 ある日家に帰ると、床の真ん中にその詩集が落ちていた。私は本は大事にするたちだ。うっかり踏み付けたりしないように、そのへんに放り出しておくことはしない。ちゃんと決められた場所に積む。
 しかし、読みかけて、無意識にその辺に置くということはやりそうだ。私はその詩集を本の積み場所に戻した。
 しかし、また別の日にその詩集がまた床に落ちていた。以前とは別の場所で、そんなところで詩集を開いたりした記憶はない。妙だなと思ったが、また本を元の場所に戻した。
 そんなことが何度か続いた。本はいつの間にか置いていないはずの場所に移動しているのだ。床の上、テーブルの下、ソファのクッションに鎮座していたり、窓に向がうようにチェストの上に立て掛けられいたこともある。
 これは不思議なことが起きているのではないだろうか。人がいない間に勝手に動き出す人形のように。何かの怪奇現象ではないのか。私は薄気味悪く思いながら、その詩集を検分した。特に不思議なところはなく、普通の新刊本屋で買ったものだ。これを書いた詩人も有名で健在である。何か霊的なものが宿る要素はあまりなさそうだ。そもそも、人形であれば手足があるが、本がどうやって歩くというのか。しかし、気のせいだと思うには、この事態は頻発しすぎである。私はこの詩集が動くところを突き止めようと色々と画策した。やはりカメラなどしかけておくべきだろうか。
 しかし、そんなことを詩集をテーブルに置いたまま考えていると、まさに詩集が動きだした。テーブルの上を滑るように進み、のたのたと私から離れていく。動くスピードはちょうどカブトムシが歩くくらいだ。そのままテーブルから落ちて、しばらく動かなくなったが、数分待っているとまた動き出し、床の上を滑り出した。
 私はそれを半ば呆れてみていた。不思議なことが起きてはいるが、あまり怪奇という感じではない。人の目を盗んであやしいことをしているという感じがしないのだ。
 しばらく床の上を歩き立ち止まると、詩集はその場所が気に入ったのか動かなくなった。十分以上経ってから、私は詩集を拾い上げた。別に虫や鼠のようなものがくっついているわけでもない。ぺらぺらのビニールのカバーのついたただの本である。動く要素はまるでない。不思議である。そして不思議であるが、恐い感じはしない。
 私はとりあえずこの事態を放置しておくことにした。それからも詩集は動き回る。私が見ていないときも動くし、見ている前でも動くことがある。どうやって動いているのか、動いている最中にじっと観察したりもしたが、足も車輪もなく、ただ動いているとしか言いようがない。私はこの詩集に収められて詩がこのような不思議な現象を起こしているのかも知れないと思った。動く本の中身を読むのは、動物の内臓を覗くような気がして気がひけたので、もう一冊同じ本を買って、それを読み通した。気に入った詩は幾つかあったが、詩集を動かす不思議な力を持つようなものは判らない。
 『ゲール、ゲールと叫んで呼べば、ゲールが来る。』 同じ本をもう一冊買ったのは対照実験を意図してもいる。同じ詩集は同じように動くのだろうか? 結果として動く詩集は最初の一冊だけで、新しく買った方は動かない。不思議なのは最初の一冊だけなのだろう。しかし、詩集は自分と同じ本が気になるらしく、その本の周りをのたのたと廻っていた。
 そうこうしているうちに、私はさまよう詩集がいる生活に慣れてしまっていた。家に小動物か掃除機ロボットがいるような感覚になっていた。餌もいらず、それほど悪さもしない。帰宅すれば、今日はどこにいるかと軽く探し、見付からなくてもそのうちに目に届くところに出てくる。
 しかし、いつの間にか詩集は我が家から姿を消した。いくら探しても見えなくなった。外に出て行ってしまったのだろうか? 戸締りはちゃんとしていたつもりだが、元々理に合わない代物なのだから、あり得ない状況で消えてしまうのも、当たり前なのかも知れない。
 私はしばらくは詩集が帰ってくることを期待していたが、数ヶ月、一年経つとさすがに諦める気になった。対照実験で買ったもう一冊はまだ手元にある。こちらは歩き出す気配はなく、積み本の置場にいろんな本の上になったり下になったりしている。
 たまに、ぱらぱらとページをめくる。この本とはそういう付き合い方なので、本棚には置いていない。『ゲール、ゲールと叫んで呼べば、ゲールが来る。』 気に入った詩句はいくつかある。


(記: 2021-05-25)

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