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鳥の餌台

 ふと思い付き、ベランダに鳥の餌台を置いてみることにした。
 洗濯機を買い替えて、乾燥機が付いているものにした。これまで物干しとして使っていたベランダから洗濯物が消えて、その殺風景さが急に気になったのだ。
 前からベランダの手摺りに鳥が止まっていることがあった。鳥の種類なんて判らない。雀でも烏でも燕でもないことくらいしか判らない。つまり元々鳥なんかに興味はないのである。
 それなのにバードウォッチングのようにベランダに餌台を置いて鳥を集めようと考えたのは、暇潰し以上の何者でもない。
 餌台というのは、バードウォッチングの用語ではバードフィーダーというらしい。通販サイトにいろいろあったが、結局は近所のホームセンターで板切れを一枚買っただけだ。ベランダの手摺りに針金で固定して、水平であることを確認して、ヒマワリの種や、その他鳥の餌っぽいもの(これも同じホームセンターで買った)を上に撒いた。そして、鳥が来るのを待った。
 数日を待たずに、何羽かの鳥がやって来るようになった。もっとも地味なやつらばかり、灰色とか茶色とかの羽の色で、あまり見ていて楽しくはない。
 カワセミみたいに綺麗なやつが来ないかと思ったのだが、あれは川にしかいないのか? 俺は無趣味なのだが、それに自分で退屈してもいるので、暇潰しの鳥寄せで鳥に興味が出てこないか、というのを期待したのだが、そうことにもならないようだ。ヒマワリの種はたくさん買ってしまったが、これを使い切ると同時に鳥寄せはやめてしまうだろうと思った。
 最初は見過していたのは、その鳥の色も茶色の地味なものだったからだ。仕事の手を休め、鳥の餌台の方を見ると、またポツリポツリと鳥が来ている。目を惹くような色合いの鳥はいないので、ただ漫然と眺めていたが、妙な違和感を感じた。何か変なものがいる。餌台から餌をついばんでいる鳥達、数羽いる中でそのうちの一話には人の顔を付いていた。
 いや、雀より一回り大きいくらいの大きさの鳥だ。本当の人の大きさの顔が付いているわけではない。しかし、その鳥は雀などの鳥の頭の大きさよりも大きな頭を持っていて、アンバランスさを感じるほどだった。
 冠毛というのだろうか、頭頂には他の羽と違う、長い黒い羽が生えていた。羽根というよりは毛のようだった。そして、何より奇妙なのは、その鳥には嘴がなくて、その代わりにくちびるが付いていた。
 そのくちびるで餌台の上の餌を咥え上げ、何とか呑み下そうとする。他の鳥たちが小刻みに嘴で餌を突いているのに比べ、不馴れで恐る恐るの行動のようで、何というか鳥らしく見えない。
 俺がその奇妙な鳥を呆れて見詰めていると、その視線に気付いたのか、こちらを向いた。
 目が合った。その鳥の目も奇妙だった。鳥であれば黒一色のつぶらな眼がついているものと思っていたが、そうではない。小さな目だったが、はっきりと白目と黒目が別れていて、人間の目にしか見えなかった。
 そして、その目には何か知性のようなもの、小さな動物ではないような理解があるようにも見えた。そして何よりもその目の中には怯えがあった。この鳥は何かに怯えている。恐怖に塗れてここにいるのだ。
 これは人なのではないだろうか? 人が鳥に変えられて、鳥として空を飛び、餌を探す。しかし、その異常で凄惨な体験を人として理解しながら、自分ではどうすることもできずに鳥として生きている。そういう種類の存在なのではないか?
 俺はその鳥から目を逸らすことができなかった。その鳥は鳥ではないような平べったい顔をしていた。目もくちびるも髪のような冠毛も人のようなのに、鼻がないのだった。鼻のある位置はのっぺりとして赤黒い。
 やはり人とは関係のない、多少似通った外見があるのに過ぎないのかと一瞬思ったが、そうではない。鼻はあったかも知れないが欠損しているのだ。残っているのは瘡蓋で塞がった傷跡だけなのだ。仲間の鳥に突つかれて削られてしまったのだろうか。
 その人面の小鳥は俺をずっと見続けていた。まるで助けを求めるかのように。人間以外の動物では考えられないような、情感のある目で見詰めている。人としての悟性や記憶を持ちながら、小さな鳥の身体に埋め込まれて、恐怖の連続でしかない日々を過ごしているのか。そして、なおも自分を人として自覚して、他の人間に助けを求める理性を残しているのか。
 じっと動かない人の顔の鳥を、不審に思ったのか隣の鳥が(頭以外は同種なのだろう鳥だ)嘴で突つき出した。人の目や口が埋め込まれた柔らかな肌に鳥の嘴が刺さり、小さく赤い飛沫が飛んだ。
 人の顔の鳥の頬の辺りに新しい傷ができている。人の目が苦痛の絶望の色をたたえて俺を見て、小さなくちびるが苦鳴を上げたようだった。ガラスごしにはしかと聞こえない声、鳥のピーピー言う声だったのか、人の言葉だったのか。
 俺は俺を見詰めるその人の顔の鳥の悍しさに総毛立ち、口からは悲鳴が漏れかけた。その鳥との相似のように。そのときに、別のもっと大きな鳥が餌台に降り立った。それまでそこに居た人面の鳥を含む小鳥達は、それに追われて飛び去って行った。
 人面の鳥は去り際に俺を見て、またくちびるを動かしていたように思う。何か言葉を喋ろうとしたのだろうか。鳥は遠く去り、間も無く見えなくなった。
 俺は餌台をベランダから取り外した。数日続けても鳥に興味は持てず、バードウォッチングが趣味になることもなさそうだ。ましてや、この近くを飛ぶ鳥の中にあんなに恐しいものが混じっているとしたら。
 俺はベランダは気にしないことにした。殺風景のままでいい。カーテンは昼からきっちり閉めておくことにした。ベランダからの景色など見る必要はない。


(記: 2021-05-18)

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