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自己紹介~高校生編~


皆さんこんにちは!野崎航大です!!

読者のお力添えをいただいたおかげで、

自己紹介~中学生編~の目標であった5件以上のスキ

を達成することが出来ました!!!!

なので今回の記事は自己紹介~高校生編~に入ろうと思います。


ノザキニスタの皆様本当にありがとうございました!!

今回の記事もプレッシャーをかけます。

「10件以上のスキ」

が当記事に寄せられなければ僕の自己紹介は高校生で終わりにします。

今回は中学生編と比較して倍のスキを狙います。大学生編は写真が多くあるので面白い記事がすでに頭の中に浮かんでおります。遠慮せずにぽちっとハートマークお願い致します。


プロサッカー選手にはなれないのではないかという疑問を抱きつつ、高校へと進学した野崎航大。
高校生活の目標はただ一つ。

「全国高校サッカー選手権出場」

果たしてその夢は叶うのでしょうか。


では、怒涛の僕の高校時代へ時を戻します、、、



・サッカー面

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2013年4月。部員200人、同年代60人の高校のサッカー部に入団。

高校3年間の目標は「全国高校サッカー選手権大会出場」

何が何でも全国大会に出場したかった。そのためならサッカーに3年間費やしてもいいと思っていた。

毎朝5時30分に起床し、7時に自主練が開始出来る環境を3年間ほぼ毎日続けた。OFFの日もグランドに行って練習した。小学生の時のようにただがむしゃらにボールを追っかけていた。あの頃のように純粋にサッカーが楽しかった。

チームメイトには名門から集結した自分よりはるかにうまい選手の存在。正直認めたくはなかったが、そんなくだらないプライドなんて捨てた、必死だった、がむしゃらだった、誰にも負けたくなかった、上手くなりたかった、なんとしてでも選手権に出たかった、サッカーで両親に恩返しがしたかった。


歴代に比べて「不真面目だが個の力がある世代」と言われていた僕たちは、団結しベクトルを良い方向へ調整さえしていけば必ず全国大会にも出場できる、そう確信していた。

高1時は1年生トップチーム、高2時は全体のBチームとして下積みを積んだ。僕が描いていたビジョンは高3時に同年代の仲間と全国の舞台に行くこと。そのために必死になって練習を行い、ミーティングを重ね、仲間とともに成長してきた。

そんな中迎えた勝負の高校3年生時。全体のトップチームに選出、リーグ戦ではスタメンの11人に選ばれたりして、充実した日々を過ごしていた。

このままなら確実に選手権のピッチに立てる

そう信じて、万全の状態で全国高校サッカー選手権の東京予選が行われる2015年9月へ突入した。


そして迎えた高校サッカー選手権東京予選1回戦前日。僕の高校は調整としてメンバーを固めて練習を行う習慣があった。なので前日の練習でスタメンに名を連ねていれば、次の試合の出場は確約されている、そんな暗黙のルールみたいなものがあった。

記憶が正しければ、僕は前日練習でスタメンメンバーに入っていたので、明日の東京予選には出場できるだろう、そう思っていた。

しかし迎えた翌日の1回戦。僕はスタメンではなくベンチスタートだった。僕の実力不足以外の理由は不明※。だが納得はできなかった。でも次はまだ2回戦だしそのうち出れるだろう、と楽観的に捉えていた。

※この原因については後ほど記載

1回戦からスパンが短いため、メンバーは1回戦のままで行くことが予想されていた、なぜなら1回戦のメンバーは試合に勝っているからだ。


そうした中、迎えた2回戦。僕は変わらずベンチスタート。結果は2-2のPK負け。僕の高校生活が終了した。

僕たちは東京都予選の2回戦目であっけなく散った。全国の舞台なんて程遠かったのだ。

目標は達成できなかったが、誰よりも練習した。誰よりもサッカーと本気で向き合った。誰よりも汗をかいた。だから僕の高校生活に後悔はなかった。

大学進学してもサッカーを続けるか迷った。でもサッカーのない生活なんて考えられなかった。サークルで遊び惚けるのは性に合わないと思い、大学でも体育会でサッカーを続ける決断をした。

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・生活面

入学から1ヶ月もしない間に、「電車内で飯を食ったやつがいる!」という通報を受け、僕たち1年生が罪をかぶり、坊主になった。人生初坊主だ。

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ちなみに僕たちは部則がなり厳しく、

・携帯電話使用禁止、イヤホン使用禁止

・寄り道禁止

・炭酸禁止だがドデカミンとエナジードリンクは例外

・坊主時に粗相を犯すと次の坊主が確約される予約坊主システム

・先輩にはどんな時でも敬語

・挨拶は止まってしっかり大きな声で

・明日までにやることやってこい=明日までに坊主

・イヤホンがこんにちはしてる=イヤホンがポケットから出てる

・横に髪型をそろえてこい=横に合わせて坊主にしてこい


今思うと理不尽なルールが多いが、そんな縛られている日々も嫌いではなかった。そして僕はドMではない。


勉強面では、高1の時、カンニングをしていたクラスメイトにテストの点数が負けたことが悔しすぎて猛勉強を開始。

テスト期間時には夕方17時から朝の4時まで勉強することは当たり前だった。効率性を知らなかった僕は質より量で勝負することしかできなかったのだ。

僕は当時、英語が大の苦手で、英語表現は赤点ぎりぎりの30点だった。関係代名詞や助動詞など知ったこっちゃねぇ!と思っていたので、物語の英文を丸暗記することにした。これは「モノだからWhichでヒトだからWho」といった正しい覚え方ではなく、理由が知らないがこれはWhichでこれはWhoといった効率性もクソもない勉強法だった。それくらいバカだった。

質より圧倒的量で勝負する鬼の勉強スタイルを取り入れ、繰り返すうちに高3時の成績はクラスでトップ5には確実に入れるようになった。

成績が良かったおかげもあり、日東駒専以上にの大学に進学することが出来た。身の程知らずとはまさに俺のことだ。


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・恋愛面

高校3年間は恋愛をしないと決めていた。すべてはおばあちゃんのせいだ!なんてガキみたいなことは思っていない。すべて自分の実力不足。今度祖母を買収するときは千疋屋のモンブランにしようか。

高校時に彼女がいる人に対してなぜか強烈な敵対心を抱いていた。こいつがデートしてイチャイチャしている時、俺は練習して確実にうまくなってやる。そんなトゲトゲの負けず嫌いなポテトヘッドだった。


・夢

高校生時の夢は「全国高校サッカー選手権大会出場」

だが僕は全国大会に出場することもなく、選手権の予選のピッチににすら立つことは出来なかった。

当時スタメンになれなかった原因をコーチに理由を尋ねてみると、「信頼度が低いから」と言われた。ふざけんな!信頼ってなんだ、毎朝必死に個人でボールを蹴って築くことが出来るものではないのか。当時の自分には全くわからなかった。このころから「信頼」について深く考えるようになった。

戯言かもしれないが、選手権に出場できなったこの経験が僕を強くした、今になってそう強く感じる。


さて、僕の夢は白紙になった。何をすればいいのだろうが、、、

大学生活では世界を見てみたかったから留学が必修の学科を選択した。

それ以外は漠然としており、不透明な未来に不安を抱えたまま大学生活へ駒を進めるのであった、、、


※本記事にスキが10件以上寄せられましたなら、大学生編も公開したいと思います。大学生編も見たいよ!という心優しいノザキニスタの方は、ハートマークをポチっとお願い申し上げます。

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