見出し画像

欲望と分娩

Aは光っている。様々なものを跳ね返し、ただ一点だけを貫くために尖っている。それは純度を高め、ただ一つの目的を達成するための機能と化している。

Bは曇っている。思考が散漫に動き、一点に集中することが出来ていない。しかしBはAを受け入れる態勢を整える。それはBの自浄作用でもあるし、あるいは自己憐憫でもある。

Aは濁っていく。朽ちていく最中で意識は明瞭にも関わらず濁っていく。機能は目的を達成することで存在の純度を濁らせていく。しかしそのことにAは気がついていない。気がついていたとしても何も感じない。

Bは輝いていく。初めは散漫だった思考もここへ来て最大限の集中を見せる。自浄作用や自己憐憫のための受け入れも、今はただその機能を果たすためだけに用意されている。しかしAの純度は濁り、望んだものを享受することができない。

AはさらにCを貫くために部屋を出る。Cはすでに受け入れ態勢を整えて待っている。しかしそれは本当の意味でではなく、あくまで娯楽として、ゲーム性の高いものとしてそうしている。

Bは苦しんでいる。快楽に身を委ねた罰をその身に感じている。簡単には降ろすことの出来ない重荷を抱え、しかしAは苦しんでいない。BはAを苦しめようとは思わない。Bは強欲に、苦しみでさえも自分のものとする。

DはBを労わり、その存在を優しくする。Dはそうすることで自分自身をあやすことが出来る。Bを媒介としてDという自分自身を間接的に慰めることができる。Dは歪んでいながらも歪んでいると思っていない。歪んでいるのは自分以外の全てだと思っている。それはEも同じだ。

EはDと関係し、最も色濃く、その思考を受け継いでいる。しかしそれはあくまで模倣であり、その純度はあまりに低い。しかしEはそれに甘んじている。Eは存在そのものの純度が低い。

Bの苦しみは最高潮を迎える。Aはその時Bを励ます振りをする。Aの苦しみを肩代わりする振りをする。そうすることでAは慰められる。DがBを媒介として間接的に自身を慰めるのと同様に、AもBを媒介として自身を慰める。しかしAは特別歪んでいるわけではない。

Bの苦しみが終わり、AとBの間の存在が生まれる。それはまだ何の名前もない、無垢な存在でありながら、自身の欲望をむき出しにした存在。欲望の最純度の存在。

AとBは喜ぶ。このときまだAはFの存在に気がついていない。Bは半ば確信的にそのことを感じている。Aは将来BとFの間の存在をAとBの間の存在だと思い、育てる。BはBとFの間の存在であると知り、そのつもりでGを育てる。

FはGが育つ過程で一度も姿を現さない。Bの前にも現れない。欲望がむき出しのまま大きな声を上げている。

了。

おしまいです。おもしろければ購入お願いします。

ここから先は

14字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?