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ペインとゲイン

鈍い金属の音で目が覚める。しかし眠っていたわけではなかった。ただ意識がぼうっとどこかを彷徨って、それが音によって自分に戻ってきたと言った方が正しいような気がした。

そもそも眠る余裕なんてないと心の中で苦笑したのは、実際に笑う余裕もなかったからだ。それではなぜ意識が彷徨っていたのかというと、現実に意識を留め続けるだけの余裕がなかったからだ。

問題の大きさに、そのどうしようもなさに絶望してしまえるのは、ある意味ではまだ余裕があると今、思った。

絶望出来るだけの余白が心に残されていることは幸福だった。余白のない心には絶望する権利すら与えられない。



断続的に続く金属の音が止んだのは、自分が手を止めたからだった。今まで深く考えることなく、聞くともなく聞いていた音が止んで、自分が手を止めたこと、そして実はその音に耳を傾けていたのだということが分かった。

ただ、それが分かったからといって何か進歩があるわけではなかった。手を動かせば同じように金属の音は続くし、手を動かさなければならない理由が僕にはあった。

そう僕にはこれをやめてはいけない理由が…とそこまで思って、果たして僕は僕なのだろうかと思った。

僕は僕ではなくて、私ではないだろうか、俺ではないだろうか、それともやはり僕のままだろうか。名前があったのだろうか。

それは分からなかった。しかし分からないからといって何かがあるわけでもなかった。そこには進歩も後退もなかった。あるのは分からないという現実だった。

ここが現実かどうかも曖昧だったが、その考えは再び鳴り始めた金属の音にかき消された。本当はそんな音は聞こえていないのかもしれなかった。でもそれはどうでもいいことだった。

音は鳴っているようにも、鳴っていないようにも聞こえた。鳴っていないように聞こえるというのは一体どんな音がしているのか。その考えもやはり、鳴り始めた金属の音にかき消されていった。



音が近づいてくるのを感じる。音が一度止んだような気がしたが、気のせいだろうか。

しかし現在もまだ音は鳴り続けている。仮に一度止まっていたとしても今鳴っている以上、一瞬の音の停止には意味はなかった。

音は断続的に響いている。それなのに静かだと思った。五感が麻痺しているのだろうか。試しに右腕を上げようとして、自分はなぜ右腕を選んだのか、その理由が突如欲しくなった。

多分、利き腕だからではないだろうか。そう思ったがそれでは理由としては不十分であるように思った。しかしどんな理由であれば充分と言えるのか、私には判別がつかなかった。

仕方がなく右腕を上げる。右腕は力なくも私の意志のままに動いた。右腕を上げたまま、今度は左腕も上げてみる。

左腕も同じように動いた。右腕と左腕を見比べると、左腕の方が太いような気がする。私は左利きなのではないだろうかと思ったが、この際利き腕は関係なかった。

身体的には、恐らくだが異常は見られなかった。だとするなら疑うべきは精神で、精神が蝕まれている可能性を調べなくてはならないと思ったが、どうしようもなかった。

それを調べる術も、次に取るべき行動についても私は分からないまま、黙って両腕を見上げていた。



音は順調に鳴り響き、それは僕が手を止めていないからだった。結局僕は僕で、僕以上のものではないから、呼び名は何でもよかった。

それは自分の存在を僕という言葉と仮定して置き換えているだけだから、それにこだわる必要はなかった。

僕はそのことに安心し、音が途切れないことにも満足している。あまりにも音が鳴り続くので手が疲れやしないかと心配に思ったが、僕の心配をよそに体は軽かった。

というか体という概念が僕の中からは欠如していた。僕は恐らく体と呼ばれる部位を持ちながらも、その概念が欠陥していることで僕でいられた。

ではなぜ手を止めるという概念があるのかというとそれも体の中で手と呼ばれる部位があるから、便宜上そうしているだけのことだった。極端に言えばそこは手でも腕でも頭でも脚でもなんでもよかった。

仮のものを便宜として当てはめているだけだからそれにこだわりを持つ必要なんてなかった。ただ体、と呼ばれるものの、手とされている部分を動かしていれば僕の存在意義は満たされた。

上から下に振り下ろす。ただそれだけを繰り返すことを条件に僕の存在は許されていた。



音の大きさは緊迫感を増して、皮膚に届いた。しかし私にはそれを感じる余裕はなかった。恐怖すらも私の心に入り込む余地はなかった。

びりびりと音は振動を私の皮膚に届けたが、それについて感想を持つことはなかった。

不思議と恐怖はなかった。どうしようもないからだろうか。恐怖すら入り込むことを許されていないからだろうか。

どうせなら恐怖が爆発して、私を犯せばいいのにと思った。

頭をかきむしるくらいでは生温い、誰よりも自分の死を望み、そして自分を呪うほどの最大の恐怖が私を襲えばいいのにと思った。

そうすれば私は許されるような気がした。

許されてはならないのだろうけど、それでも許されるような気がした。

私は許されたいのだろうか。私は許されたいのだろうか。私は許されたいのだろうか。



振り下ろす。振り上げる。振り下ろす。何度これを繰り返したのか分からない。数えることすら不可能なくらいこの動作を繰り返しているような気もしたし、実はまだ数回、数十回程度しか繰り返していないのかもしれない。

いい加減に疲れてきたような気もした。体という概念は、僕には与えられていないから、精神が。

存在意義として許された精神が疲弊していくような気がした。疲弊すること自体は構わない。しかしそれがひどく憂鬱に思えた。

憂鬱を抱えるくらいならこの動作をやめてしまいたかった。しかしそうすることは出来なかった。そう出来ない理由は分からなかった。

いや分かっているのだろうか。これをやめれば僕は存在意義を失うからではないだろうか。

存在意義を失い、存在することを許されなくなるからではないだろうか。

存在意義を失う恐怖とこの憂鬱を天秤にかければどちらに傾くだろうか。僕は憂鬱を受け入れ、存在意義に怯えながらずっとこの状態を繰り返すのだろうか。

上から下に振り下ろす。その動作は止まることはない。振り下ろす度に鈍い音が響く。

その音はひどくうるさく響く。初めは心地良かったのに、その音にもだんだん憂鬱を感じてしまう。

憂鬱を感じると的がずれる。そうするとまた正しい場所に振り下ろさなければならない。間違いなく、標的を打ち砕かなくてはならない。

上から下に振り下ろす。目の前を通り過ぎる鉄が鬱陶しい。突如下から両腕が現れて驚いたが、その驚きに反して僕は淡々と振り下ろす。

響く音が声を帯びて反響する。僕を許して。僕を許して。僕を許して。

本当にそう聞こえただろうか。自問する間もなくまた次の音が響く。

了。

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