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あなたのSNSのタイムラインは社会の小さなごく一部である(都知事選感想)

今月5日に都知事選が行われた。

個人的には、都民になって初の都知事選で、初の選挙権があった(前回は大阪府民、その前は埼玉県民)。

そのため、色々と調べてこれかな!と思う候補者に投票した。

今回、自分のSNSでは、過去類を見ないような盛り上がりがあった。期日前投票に行った人は写真をUPし、ハッシュタグを付け、「皆で行こう!」と呼び掛けている人が大勢いた印象だった。SNSと投票は相性がいいと思った(良し悪しの話ではない)。

・有名人が選挙の話をすることについて

芸能人のSNSも投票に関連する投稿が多かったように思う。

これは一例であり、内容の真偽はさて置き、ここまで個人が呼び掛ける選挙はなかったように思う(有名人に限らず)。

この動き自体は非難すべきではないと思うし、知名度のある人の影響で投票してみた人も一定数いると思う。その点では社会の関心の高まりが好きな芸能人のマネから入ってもいいと思うし、選挙に初めて関わることになった価値があると思う。

もちろん、特定の政党への投票を斡旋するものではいけないし、こき下ろす必要もないのだが、考えるためのきっかけを与える役割にはなっていた。「○○が選挙に行くから行ってみよう!」の先は自分で考えなくてはいけない世界だからだ。

その点では社会を変える当事者意識の芽生えに繋がる予感があった。

・前回を下回る投票率

だが、今回の都知事選の投票率は55%で、前回を4.73ポイント下回っていた。まだ年代別が出ていないので一概には言えないが、SNSや周りの人と話している体感と、世間全般での結果が乖離していると感じた。

20代以下が前回より高い可能性はあるが、それでも半数くらいの数で、棄権票が500万票ある事実に驚いた。
と同時に、SNSや自分の選択したコミュニティは社会のごくごく一部だと再認識して見直すきっかけにもなった。

・社会と自分の環境の差異を見抜く

どんな投稿・記事でもバイアスが掛かり、公平な視点の情報を獲得することは難しくなってきた。ネットニュースを精査しているうちに、次の情報が出てくる。またその真偽を確かめる。
見抜けるかどうかはネットリテラシーと言われているが、もはや「必須能力」である。

今回、自分のタイムラインの投票の体感は70%くらいだと感じており、知らぬ間にその感覚に溺れていた。だから結果を見て「差がある!」と感じたのだろう。
だが、自分の立ち位置によって情報が偏ることを体験できたことが思わぬ収穫だった。

例えば、サッカーが好きな人がTwitterを始めるとする。
まずは、好きなチームをフォローする。
そのチームの選手をフォローする。
そのチームのファンをフォローする。
好きな解説者やファンをフォローする。

すると、あっという間に「自分が好きなサッカーチーム」のことが好きな人しかタイムラインにはいなくなる。

いつしか、そのタイムラインと社会一般から見た認識のズレが気にならなくなっていく。ファンがたくさんいるチームだ!と事実に関わらず認識できる。

まだスポーツなら問題もないが、政治や宗教だとどうだろうか。偏った思想が集まって、無自覚なタイムラインができることは、ひょっとしたら心地が良いかもしれないし、恐ろしいことかもしれない。

あくまで「自分が選んで作り上げたタイムライン」であることを念頭に置くことが大事であるかもしれないし、それもまた思い込みかもしれない・・・。

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