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【創作大賞2024応募作 恋愛小説部門】青が満ちる 第10話

【第1話】  【前話】

蒼くんはものすごく寝起きが悪い。しかしそれに輪をかけて悪いのが慎一くんだった。
基本的に食事は全員で摂る、と私たちは決めていたけれど、共同生活が始まって数週間たった今日の時点で、3人揃って朝食を摂ったことはまだ一度も無い。

彼らの寝室には入らないことに決めているから、起こしに行くことはできないし、そもそも部屋に入りたくもない。
だから、その分リビングで大きな音を出したり音楽をかけたりしながら極力彼らを起こそうと努力をするのだけれど、それが成功した試しはなかった。

もちろん蒼くんは仕事柄、時間が不規則だったりして起きられない日があるのは仕方無いと思っている。
しかし慎一くんは会社員で規則正しい生活の代表のような職業なのだから、もう少し決まった時間に起きてくれてもいいのに、と思ってしまう。
それでも私には時間的な余裕があるので、せめてどちらかと食事をしようと彼らが起きるまでの間に別のことをしながら待つけれど、いつもその期待は打ち砕かれている。

二人ともギリギリの時間に起き、ほとんど腰が浮いた状態のまま猛スピードで口に詰め込んで、嵐のように家を飛び出していく。それが彼らの朝だった。
だから結局、私は彼らを見送った後に一人で遅い朝ごはんを食べることになる。
(なんなのよ、もう……)
こうやって誰かのために食事を用意する立場になって、初めて母親の気持ちが理解できたように思う。
私も学生時代はなるべく寝ていたくて、朝ごはんをゆっくり食べる時間もあまり取れずに彼らのように猛スピードで出かけていた。
そんな時、母親はどのように感じていたのだろう。そんな私に対して何も文句も言わず、いつも変わらずに朝食を用意してくれていた。
それに対して私はちゃんと「ありがとう」と言ったことがあっただろうか。

広いテーブルでぽつんと一人で食事をしながら、唇を噛みしめる。胸に熱い感情が広がり、涙が込み上げてくる。
私は急いで涙を拭い、お皿に盛り付けたサラダを黙々と片付けていく。
彼らに不満があるわけではない。一人で食事をすることが寂しいのでもない。なんだか無性に悲しいのだ。
心の中を埋め尽くした混沌とした感情に対応しきれずに、子供のように泣き出したくて仕方が無い。

私は何も考えないようにして、目の前に課せられている家事をこなしていった。洗濯機のスイッチを入れ、その間に食器を洗い、終わったら掃除を始める。
ふと手を止めると、原因不明の悲しみが襲ってくるから、私は動きを止めることなく家事を続けた。
その間、頭の中は本当に無の状態だった。ただひたすらに綺麗にすることだけを目的として動いていた。
それでも、全部の部屋に掃除機をかけ、3人分の洗濯物を干し終えると、少しだけ気分が軽くなっていることに気が付いた。
そんな自分に他人事のように安心すると、気分転換のために母親に電話をしてみることにした。

数週間ぶりに聞く母親の声は甲高くて、嫌だった時期もあったけれど今はそれがとても懐かしい。
この家に引っ越してきてからまったく連絡を取っていなかった私のことを、母親はとても心配していたようで、開口一番「大丈夫なの?」という声が飛んできた。
「大丈夫よ、ちゃんと料理も家事もしてるから」
ちゃんと、かどうかは自分では分からないけれど、今のところ二人からは何も文句は言われていない。少なくとも二人は私の料理を残さずに食べてくれている。
「あなたは家で全然料理なんてしなかったじゃない?だからすごく心配なのよ。もっときちんと教えておけばよかったわ……」
電話の向こうでため息交じりの母親の小言が始まる。
(これは長くなるぞ……)
私は嫌な予感がして、母親の気を紛らすために「もう、心配しないで」と遮った。
そして、「来月から料理教室にも通うことになってるから」と、余計なことを言ってしまい、すぐに後悔をした。
「あら、それは良いじゃない。どこに通うの?何料理?私も一緒に通おうかしら」
「ちょ、ちょっと待って。まだ正式には決まってないから……」
相変わらずの母親の発想に、やっぱり、と少しうんざりしながら私は慌てて話題を変えた。
「それよりさ、ブリ大根の作り方を教えてほしいんだけど……」

なんとか話題をずらせたとは言え、電話を切った後の私は軽く疲れてしまっていた。
母親の小言に付き合わされるのも面倒だけど、とんでもないことを口走ったことによってそれを根掘り葉掘り聞かれるのも困ってしまう。
(だけど……)
料理教室だなんて、今まで思い付きもしなかったけれど、この機会に通ってみるのも良いかもしれない、と心のどこかで考えてもいた。
(慎一くんたちが帰ってきたら話してみよう)
そう思うと、なんだか楽しみになっていた。さっきまで私を包んでいた得体の知れない悲しみは、すでにどこかに消えてなくなっていた。

ところが、夕食の席で私が発した言葉は、まったく違うものだった。

「もうっ、二人とも朝ごはん食べてくれないんだったら、明日から作らないよ!」

久しぶりに3人が揃ったテーブルで、私は二人に怒りをぶつけていた。
きっかけは、蒼くんの「明日は朝早いからごはん食べる時間無いんだ。だから、俺の分は作らなくていいからね」という言葉だったと思う。
明日は5時前には迎えの車が来るから4時半には起きないといけない、と言う蒼くんに、
「そんなのいつもでしょ?いつもギリギリまで寝てるから朝ごはん食べる時間なんて無いじゃない。蒼くんも慎一くんも……」
と、私はボソッとつぶやいた。
それを聞いた二人は驚いたように顔を見合わせ、「ごめん」と同時に口にした。

謝ってもらっておいて、とも思うけれど、朝の悲しみが再び押し寄せてきた私は止まることができずに言ってしまったのだ。
「二人とも朝ごはん食べてくれないんだったら、明日から作らないよ!」
大声で怒鳴ったわけではないけれど、普段の私からは考えられないような強い口調だったから、二人は揃って焦った表情になった。
「日菜ちゃん、ごめん、明日からはもうちょっと早く起きてちゃんと朝ごはん食べるよ」
「俺もごめん。明日は無理だけど、明後日からはちゃんと起きるし、遅くて良い日はちゃんと時間を伝えるから」
口々にそう言い、必死になっている慎一くんと蒼くんを見ていたら、なんだか一人で怒っているのが馬鹿馬鹿しく思えてきて、怒るのをやめて黙り込んだ。
ところが相当私が怒っていると思い込んだ二人は、必死になって「ごめんね」「明日から気を付けるから」と慌てている。
そんな彼らの素直さに、私は不思議と許せてしまうのだった。

「分かってくれたらいいよ。ちゃんと起きてね」
拗ねたように私がそう言うと、二人は明らかにほっとした表情を浮かべた。二人はまっすぐに私を見て、優しく微笑んでくれる。
「うん、明日からは6時には起きるから」
「俺も頑張るよ」

彼らと同じように微笑んで頷く私に、同じように頷き返してくれた慎一くんは、蒼くんにちらっと目を向けてこう言った。
「俺が起きなかったら、蒼、起こしてよ」
「えっ、俺?無理無理、日によって寝る時間も起きる時間もバラバラなのに」
「じゃあ、一旦起きて俺を起こしてからもう一度寝ればいいじゃん」
「何言ってんだよ!無茶苦茶だよ」
「だって俺、ちゃんと起きられる自信無いもん」
「知らないよぉ。ちゃんと自分で起きて、むしろ俺を起こして」
「嫌だよ、蒼、寝起き超機嫌悪いから」
「機嫌が悪いのは慎ちゃんだって同じじゃない。いつだったか、起こしてあげた俺のこと平手で叩いたじゃん」
「だって、あれは……」

延々と続きそうな二人の会話に苦笑いしながら、私は大きくため息をついた。そして止めを刺してやった。
「どうしても起きなかったら、私が叩き起こしに行くからね!」
言い合いをしていた二人は、ぎょっとして私に顔を向ける。
焦って固まった二人の表情に少しだけ優越感を感じて、私はニヤリと笑った。
「ひ、日菜ちゃん……?」
「本気じゃないよね、ヒナコ?」
不安そうな二人を余所に、私は「さぁね」と言いながらクククッと笑う。ふと気が付けば、私の心の中の悲しみはすっかり消えていた。

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