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【創作大賞2024応募作 恋愛小説部門】青が満ちる 第9話

【第1話】  【前話】

どうしても断ることができず、慎一くんと私の両親は引っ越し当日に手伝いに来ることになってしまった。

両親が期待していた結婚式を断ってしまった手前、彼らの申し出を断り辛かったことが大きな理由だった。
来訪を断ったことで万が一両親を怒らせて結婚式をさせられては困るので、慎一くんも私もしばらくは大人しくしておくしかない、ということで意見はまとまっていた。
それに、二人とも今まで実家暮らしをしていて、この結婚が事実上初めての独立となるわけだから、両親の心配があるのは仕方が無いだろうと子供の立場として理解はしている。
けれど、そこには蒼くんもいるのだから、本当は引っ越し作業の場に両親たちがいてもらっては困るのだけれど。

蒼くんと3人で暮らすことを両親たちには当然話していないから、彼のことは隠し通さなければいけない。だからこそ、この引っ越しは私たちだけで終わらせたかったのだ。
そのことを蒼くんに話した時、「あー、いいよいいよ。気にしないで。それにその日は俺も撮影が入りそうだから、一緒に作業できないだろうし」と、あっけらかんと笑った。
そして蒼くんは何も気にしていないような表情でスケジュール帳を開き、「じゃあ俺はその週の火曜日が休みだから、その日に移動しようかなぁ」と言いながら慎一くんを見上げている。
それは蒼くんなりの気遣いなのかもしれないけれど、これからの生活でもこうやって負担をかけてしまう場面が多くなるかもしれないと思うと、なんだか申し訳なくなってくる。

「ヒナコ、それは気にしなくていいよ。見方によっては負担なのかもしれないけど、俺にとってはそんなの負担でも何でもないよ。それより……」
「なに?」
ちらっと慎一くんの方に目を向け、また私に目を戻す。
「な、なによ?」
「慎ちゃんと夫婦になったら駄目だからね?」
思わず「はぁっ?」と叫んで、思いっ切り眉間に皺を寄せて蒼くんを睨みつけてしまった。
慎一くんは手にしていた日本酒を飲み込むのに失敗したらしく、「バカ……かっ、……蒼っ!」と言いながら激しくむせている。
そんな私たちを見て安心したのか、蒼くんはふんわりと笑い、「新生活、楽しみだねぇ」とうれしそうに目の前の刺身を何切れかまとめて頬張ってみせた。

そして、慎一くんの仕事が休みの土曜日、私たちは新居へ一足お先に引っ越した。

引っ越しの手伝い、と言っても、両親たちに段ボールの荷物を解かせるわけにはいかないので、実際は新居を見せることが大きな目的だった。
彼らは浴室や個室のドアを開けながら、「綺麗ねぇ」とか「一軒家も良いけど、マンションも使いやすそうね」などと思い思いの感想を述べている。
一通り荷物を運び込み引っ越し業者が帰った時に、「なんか荷物が少ないな」とつぶやいたお義父さんの言葉にドキッとした。

私たちの引っ越しの荷物は、結局のところ自分たちの物ばかりだった。キッチンやリビングで使う物は新しく買ってすでに運び込まれているか、後から蒼くんが持って来てくれることになっているからだ。
確かに、家の中はがらんとしている。リビングにはソファしか置いていないし、キッチンやダイニングにも家電関係が一切無く、テーブルと椅子だけが置いてある風景は違和感がある。

それよりも、新婚なのに一人一部屋持つことになっている私たちを両親たちは理解できないようだった。
「こちらが慎一さんのお部屋で、あちらが私の……」
と案内をした時、特に母親たちが信じられない、といった表情で慎一くんと私を交互に見ていた。
不自然に扉が閉まった隣の二つの部屋には一切目は行っていないようで助かったのだけれど、中を覗いた母親たちが何か言い出さないか私はヒヤヒヤしていた。
個室については慎一くんも私も何か言われる覚悟をしていたから、事前の打ち合わせで決めた通りの「将来子供が産まれたら彼らに部屋は明け渡す予定です。でも、今はまだ部屋が余っているから物置代わりで使おうと思っているんです」という慎一くんの言葉に、両親たちはようやく納得したようだった。

それでも引っ越し作業が終わってからの食事会では両親たちは本当にうれしそうで、昔からの知り合いのように若い頃の話や私たちの子供の頃の話をしながら、楽しそうにお酒の杯を重ねていた。
そんな彼らを見ると、蒼くんには我慢させてしまったけれど両親に来てもらってよかったかな、とも思える。きっと新しい生活を送る場所を見ることができて、彼らも安心できたように感じ取れる。
慎一くんも同じことを考えているのか、蒼くんに見せるのとは少し違う、穏やかな表情で両親たちを眺めていた。

「今日はどうもありがとうございました」

私たちは両親たちに丁寧にお礼を言い、「また遊びにいらしてください」と頭を下げた。
ここまではちゃんとやろう、と慎一くんと話し合っていた。どんなに納得がいかない訪問だったとしてもこれは俺たちの役目だ、と。
一応結婚して家庭を持つことになっているのだから、礼儀とかけじめは大切にしないといけない、というのが慎一くんの考え方だった。
慎一くんのそんな誠実な考え方が、私は好きだった。どんな時でも迷ったら正しいことを選んで実行する、という潔さは私も見習いたいと思う。
たとえ形だけの結婚だとしても、尊敬できる人と一緒に暮らすことができるのは本当に幸せだと思う。

「じゃあ、また」
私たちはそう言い合って、別々のタクシーで両親とともにそれぞれの実家へと向かった。
実際に私たちが新居で暮らすのは、火曜日からと決めていた。
両親たちには「火曜日は一粒万倍日で日取りは良いから」と言っておいたけれど、当然理由はそれだけではない。
私たちの頭の中には蒼くんのことしかなかった。
慎一くんも私も、新居での生活は3人で同時に始めたいと思っていたからだ。


蒼くんが移動する火曜日は、何の予告もせずに蒼くんの家に手伝いに行くことになっている。
すでに会社を辞めている私は新居で待つけれど、慎一くんは休みを取って、朝から突撃訪問するという力の入れようだ。
そして夜は3人で盛大に引っ越し祝いのパーティーをしようと計画をしている。
これは慎一くんと考えた蒼くんへのサプライズプレゼントだった。

案の定、蒼くんの古い家に突然登場した慎一くんに驚き、蒼くんは「うわっ」と大きな叫び声をあげたらしい。
業者のトラックよりも一足早く彼らの車がマンションに入ってくるのをベランダから確認して、私はエントランスで待ち構えていた。
満面の笑顔で車を降りた蒼くんから、突然の慎一くんの登場が相当うれしかったことが想像できる。

「じゃ、改めて3人での生活を祝して、かんぱーい」

慎一くんの言葉を合図に、私たちはグラスを合わせた。
「なんやかんや言って、蒼の荷物が一番多かったよな」
「確かに。一番引っ越しっぽかったよね」
「当たり前でしょ。電気製品とか全部持ってきたんだもん」

私たちはテーブルに並べた料理に次々と手を伸ばす。
基本的に私たちはセルフサービス且つ早い者勝ち制度だから、私が二人に取り分けたりすることは滅多に無く、自分の食べる物は自分で確保することになっている。
テーブルの上はパーティーらしく賑やかだ。もちろん私が作った料理もいくつかあるけれど、まだそれほど慣れていない私は宅配ピザや寿司の力を借りて、テーブルの上を豪華に演出していた。
慎一くんも蒼くんも本当に家事を私に任せてくれる気でいるらしく、そんな他力本願な料理でも文句は一切口にしなかった。
彼らのさりげない優しさがうれしくて、これからはこの二人のためにもっと頑張りたい、と素直に思えるのだった。

今までもこの3人でたくさん食事をしてきたけれど、家で食べるのはこれが初めてだった。
これからはお店ではなくこの家で食事の時間を共有するんだなぁ、と思うと、なんだかワクワクする。
慎一くんも蒼くんも、いつも以上によく笑い、よく食べる。きっと店ではなく家での食事ということでリラックスしているのかもしれない。
私と同じようにこれから始まる生活が楽しみで気持ちが高まっているのだったらいいな、とぼんやりと思った。

何気なく時計を見ると、もう日付が変わろうとしている。いつの間にこんなに時間がたったのだろう。
蒼くんのスケジュールはまだ知らないけれど、会社員の慎一くんは朝から仕事があるはずだ。
「ねぇ、もうこんな時間だよ。そろそろお開きにしようか」
私がそう言うと、慎一くんの肩に手を回していた蒼くんがだるそうに顔を上げる。それにつられるように慎一くんもグラスを置き、時計を振り返る。
「あー、ほんとだ。そろそろ寝ないと」
慎一くんの言葉に蒼くんはしぶしぶ頷き、「俺も明日早いんだった」とため息をついた。

「じゃ、お風呂入れてくるね」
まだダラダラしている二人をテーブルに残して、私はお風呂場に向かった。
大きい家電や家具は蒼くんの物を使うことになっているけれど、小物類のほとんどは今回新しく買ったものだった。
お風呂場に置いてあるシャンプーや洗面器も真新しい物ばかりだ。ぴかぴかのお風呂場に買い揃えたばかりのシャンプーボトルを並べていると、新しい家に引っ越してきた実感が湧いてくる。
自分の家、という初めての感覚にうれしさが込み上げてくる。
ホクホクした気持ちのままリビングに戻ると、慎一くんと蒼くんが楽しそうに言い合いをしていた。

「ねぇ、最初のお風呂は誰が入る?」
「やっぱり俺だろ。世帯主だし」
「でもこの家を最初に見つけたのは俺だよ?」
「でも俺が二人分の家賃を負担してるんだし」
「二人って、ヒナコの分じゃん。俺は関係無いでしょ?」
「いや、3分の2は3分の2だよ!やっぱりここは俺の方が……」

子供の喧嘩のような会話に、何度目かの「なんなの、この二人……」を言いかけた時、信じられないセリフに思わず吹き出した。
「じゃあ、一緒に入ろっか!」
見ると、蒼くんがキラキラと目を輝かせている。
一方の慎一くんは、「ね、慎ちゃん」と満面の笑顔で自分を見上げている蒼くんに、顔を赤らめて戸惑っている。

(ちょっと!公共の場でいちゃつかないで、って言ったじゃない……)
二人は私がここにいることに気が付いていないのか、甘い雰囲気を醸し出している、ように見える。
別に二人がぺったりくっついているわけでもなく、見つめ合ってはいてもただ隣に座って会話をしているだけなのに、見てはいけないものを見てしまったような気になるのはどうしてだろう。

思えばこの二人から甘さを感じ取るのは初めてだった。今まで何度も一緒に食事をしてきたのに、一切そんな雰囲気になったことはなかった。一応気を遣ってくれていたのかもしれない。
初めての甘い雰囲気を目の前にして、明らかに私は衝撃を受けていた。
けれど、不快だとは感じないのはどうしてだろう?普通、カップルがいちゃついているのを見るのは気分の良いものではないけれど、この二人に関しては特別何とも思わないことに驚いていた。

「ね、ヒナコ、良いでしょ?」
苦笑いをしながら二人を観察していた私に、突然蒼くんが声をかけてきた。
私がいることは知ってたんだ、と少し意外に思いながら、この問いかけにどう答えたら良いものか困ってしまった。
「ヒナコ、お願いっ!」
「いや、私が許可するのもおかしいと思うんだけど……」
「じゃあ、良いってことだね?やったぁ!慎ちゃん、オッケーが出たよぉ!」
酔っぱらった蒼くんは、思考回路も行動も子供になるらしい。慎一くんの手を握ってうれしそうに振り回している。
「良いの?日菜ちゃん……」
困り果てたように、でも心の底のうれしさを隠すように、慎一くんは私に問いかける。
私はなんだかもう、どうでもよくなってしまって、笑いながら「良いんじゃない?」と言ってしまった。
その瞬間ますますはしゃぎだした蒼くんと、それに引っ張られるようについていく慎一くんの背中に、私は慌てて「今日だけだからね!」と付け足した。
「はいはーい」
と、飛び跳ねるように喜ぶ蒼くんを見ていると、私の中にも幸せな気持ちが流れ込んできて思わず笑顔になってしまった。

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