見出し画像

【創作大賞2024応募作 恋愛小説部門】青が満ちる 第17話

【第1話】  【前話】

「来週末にね、母が家に来たいって言ってるんだけど、どうしたらいい?」
私は夕食の時に二人に問いかけてみた。今朝母親から電話があり、その申し出があったのだ。
「来週末にお父さんが同窓会で旅行に行ってて留守なのよ。あなたの家にもまだ泊まったことが無いし、この機会にお邪魔してみようと思って。慎一さんのご都合はいかがかしら?」
浮かれた口調の母親に圧倒されて、私は言葉が出てこなかった。

結婚して家を出てから約半年がたっていた。
新居のお披露目以来、私たちの家に両親たちが訪れたことは一度もなかった。だから母親がこの家に来てくれることは純粋にうれしい。
しかし、単純に喜べない状況にあるのも事実だ。

蒼くんと3人で暮らしているなんて夢にも思っていない母親が、自分の家としてここに平然と帰って来る蒼くんを見た時に何と言うだろうか。
彼が芸能人だからというわけではなく、新婚家庭に「第三者」がいることを絶対に理解できないだろうと思う。
「俺は特別出かける予定も無いから家にいるけど……」
慎一くんが言いながら視線を蒼くんに移す。
「俺?いいよ、ちょうどその辺りは地方でロケだから」
私たちの不安そうな視線に気が付いた蒼くんが、「ほら」と、スケジュール帳を開きながら明るく言った。
気を遣ってくれているのかと思ってスケジュール帳を覗き込むと、木曜日から日曜日にかけて矢印が引かれていて、そこに行先と番組名が書かれていた。
「じゃあ、申し訳ないけど、来週母に来てもらうね」
「オッケー。ヒナコのお母さんは金曜日に来て、日曜日に帰るんだよね?」
「うん、日曜の夜には父が帰ってくるから、夕方までには実家に戻ると思う」
蒼くんは親指を立てて「OK」のジェスチャーをすると、「俺のことは気にしなくていいから、久しぶりにお母さんに甘えさせてもらいな」と急に上から目線になり、笑いながらごはんを頬張った。

「あっ!でも……」
蒼くんが勢いよく口の中の物を飲み込むと、慌てて付け加えた。
「くれぐれも俺がいない間に慎ちゃんを誘惑しないでよ!」
予想通りの発言に私たちはただ苦笑いするしかなかった。
慎一くんは子供をあやすように「大丈夫だよ」と蒼くんの頭を撫で、私は「もう、バカじゃないの?」と軽口を叩いた。


そして当日。引っ越しして来てから初めて使用する客間に母親を通し、キッチンや自分の部屋を軽く案内すると、
「綺麗に生活しているじゃない。もうすっかり新しい生活に慣れたみたいね」
と、うれしそうに笑みを浮かべた。

確かに、初めて実家から離れて生活をし始めて、今までの環境とは180度変わったというのに、私はまるで不自由を感じることなく生活している。
毎日の家事や料理が面倒だと思うことはあっても、辞めたいと思ったことはなかった。
それは間違いなく慎一くんと蒼くんのおかげだと思う。
彼らが私の料理をちゃんと食べてくれて、私のことを認めてくれるから頑張れるのだと思う。
「心配していたのよ、あなたがちゃんと生活していけるのか。慎一さんにご迷惑をおかけしてない?」
過保護なまでの母親の心配性にうんざりしながらも、私は「大丈夫よ、ちゃんとしているわよ」と返し、リビングに移動すると、積もりに積もったおしゃべりに花を咲かせた。
夜、いつもより早めに帰ってきてくれた慎一くんは、お義母さんに、と会社の近くでケーキを買ってきてくれた。
きちんと挨拶をし、歓迎の言葉を述べる慎一くんは、どこから見ても「できたお婿さん」だった。
予想通り、母親が「やっぱり慎一さんは素敵ねぇ」と、感心したようにため息をついた。


その電話が入ったのは、土曜の夜だった。
母親と私は朝から近所の美術館を巡り、併設されたショッピングモールで買い物をし、夕方から合流した慎一くんと3人で外食をして帰宅した私たちは、ゆっくりとお茶を飲んでおしゃべりをしていた。
「せっかくの旅行だから、もう一泊してもっと観光してきたいんだ」
電話の向こうで父はそう言った。「だからもしよかったら、お母さんをもう一泊させてあげてくれないか?」
「う、うん、いいけど……。あ、ちょっとお母さんと代わるね」
私はそう言って電話を母親に押し付け、慎一くんに耳打ちした。
優しい慎一くんは母親がもう一泊することを快く受け入れてくれたけれど、ふと思い出したように焦り始めた。そう、確か日曜日は……。
「確か、蒼も日曜の夕方帰ってくるって言ってなかったか?」
「そう、だよね、どうしよう……」
電話口で話している母親を横目で見ながら、私たちは必死に対策を考える。

きっとこのことを伝えたら、蒼くんは気を遣ってどこかでもう一泊するよ、と言ってくれるだろう。
でもそれは慎一くんにとって不安要素でしかないはずだ。彼は芸能人であるとともに、恋人だから。
私は二人にそんな迷惑をかけるわけにはいかない。
けれど私たちには他のアイディアは浮かんで来なかった。気持ちばかりが焦ってしまう。

「申し訳ないんだけど、もう一泊させてもらって良いかしら?」
と電話を切ってから恐縮しながら言う母親に、「もちろんですよ。本当ならもっと長い間いていただいても良いくらいなのに」と完璧な笑顔で慎一くんが答える。
それに対して母親も遠慮がちな笑顔で「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
優しい人だなぁ、と改めて思う。
いろいろと訳ありではあるけど、この人と結婚できて本当によかったと、こんな時にうれしくなってしまう。
そして慎一くんは笑顔のまま、「ちょっと電話してくるよ」と携帯電話を片手に自分の部屋に戻っていった。
その後ろ姿を見ながら、母親はつぶやいた。
「やっぱり高山さんのご子息と結婚してよかったわね。慎一さん、本当に優しいのね」
その言葉に私は小さく頷き、自分が褒められているような誇らしげな気持ちになっていた。
最初はまったく無関係な人との同居だったはずなのに、こんな気持ちになるなんて少し前の私には想像できなかっただろう。

しばらくして戻ってきた慎一くんは、驚くほど不満そうな顔で戻ってきた。母親がお風呂に入っていることを確認すると、私に向かって言った。
「蒼の電話がつながらないんだ」
「仕事中なんじゃないの?」
「いや、電波が届かない場所にいるらしい。どんな山奥に行ってるんだよ、まったく」
「じゃあ、メール入れておくしかないね。都会に戻ってきたら受信してくれるはずだから」
不安そうにも見える表情で、慎一くんは素直にその言葉に従いメールを打ち始めた。


翌日は天気も良かったので、慎一くんの車で少し足を延ばして郊外にある植物園に行った。
普段からガーデニングが好きな母親は、はしゃぎながら苗や種を物色している。手にはすでに2つの苗をしっかりと確保している。

「慎一くん、母が花を好きなこと知ってたの?」
不思議に思い私がそう問いかけると、「まさか」と笑った。
「知らなかったよ。でも、こんなに喜んでもらえて俺もうれしいよ」
と、本当に満足そうに笑った。
その笑顔は優しくて温かくて、私は思わず見惚れてしまいそうになる。
そんな自分に気が付き、慌てて目を逸らして慎一くんの側を離れると、母親の側へと走り寄った。
「日菜子、あなたも何か買ったら?家に花があるって良いわよ。買ってあげるから、慎一さんと選んでいらっしゃい」
一瞬でもときめいてしまった直後だから、慎一くんと一緒にいるのは気が引ける。
何に対して後ろめたくなるのかは分からないけれど、少なくとも自分の心とは裏腹に気持ちが動いてしまったことが私は自分で理解できなかった。

決して「好き」なのではない。
良い人だな、と思う感情だけなのだ。
それなのに、心の中はスッキリしない雲に覆われているようだった。
そんな私の心の中のモヤモヤにまるで気が付いていない慎一くんは、母親に勧められた鉢植えコーナーで楽しそうに花を選んでいる。
「ベランダに置くのも良いけど、少しは家の中にも置きたいよね。日菜ちゃん、何色の花が好き?」
そう、慎一くんはまったく気付いてなんかいない。ふとした時に見せる優しさや思いやりの気持ちに、私がどれだけ心揺らされたことがあるか。
別に気が付いてほしいわけではない。だってそもそも私は慎一くんに対して恋愛感情を持っているわけではないのだから。
それでもこの優しさに包まれた時間をもっと独り占めしたいと思ってしまうのはどうしてだろう。

「日菜ちゃん?疲れた?」
心配そうな目をした慎一くんが私のことを覗き込んでいる。
考えていたことを見抜かれてしまったようで気まずくなった私は、「大丈夫!」と素っ気ない言葉が口から飛び出した。
「そう?それならいいけど」
慎一くんはいつものように温かい目で微笑むと、「ね、どっちがいい?」と私の顔の前に2つの鉢植えを差し出した。
微笑む慎一くんにつられて私も笑顔になる。そして、「こっち」と迷わず青い小さな花が付いている鉢植えを指差した。
きっとこれは気のせいだ。確かに今はとても心地良いけれど、私は蒼くんと3人でいる時間がやっぱり大好きなのだから。


久しぶりに母親の手料理が食べたいと思い、家で夕食を食べることにした。車だから、と大量に買った食料品を両手に抱えて玄関を開けた瞬間、私は心臓が大きく飛び跳ねた。
そこには見慣れたブーツがある。
この靴の持ち主はもう帰ってきているのだろう。
それを発見した慎一くんも私と同じように顔を強張らせている。

母親に勘付かれないように、私は必死にしゃべりながらキッチンへと母親を誘導する。
その合間に慎一くんと目配せをして、蒼くんを探してもらうように頼んだ。
「もう、何が『一緒に作りましょう』よ。あなたが主になって作らなきゃ駄目でしょう?」
母親に小言を言われながら、私たちは早速夕食の準備に取り掛かっている。
とりあえず、第一関門は突破したようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?