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【創作大賞2024応募作 恋愛小説部門】青が満ちる 第16話

【第1話】  【前話】

その日、実家から帰宅すると家の中の雰囲気がいつもと違っていた。
(何が違うんだろう?)
私が「ただいま」と言えば、先に帰っていた二人はそれぞれ「おかえり」と言ってくれる。それはいつもと変わらない。

私は間違い探しをするように、家の中をぐるりと見回してみる。たった一泊の留守が、私を浦島太郎にしているのだろうか。
違いが分からず首を捻りながら諦めてリビングを出ようとした時、ようやくあることに気が付いた。
二人が離れて座っているのだ。蒼くんはソファに、慎一くんはダイニングテーブルに座っている。
二人が家にいる時は、例外なく隣同士に座っていて、ソファに座る時はお互いの太ももがくっつくくらい近い距離で座っているというのに。
どおりで大きな違和感があるはずだ。そればかりではなく、二人はさっきからまったく言葉を交わしていないのだ。

夜ごはんの準備をしながら観察をしていても、3人でテーブルを囲んで夕食を食べながら見ていても、私との会話はあっても二人の間で会話はおろか、目を合わすこともしない。

「ねぇ、何があったの?」
耐え切れなくなった私は、とうとう二人に問いかけた。
私の声に二人は同時に顔を上げた。
けれど、動きがシンクロしたことに気付いた蒼くんは若干悔しそうに慎一くんから顔を背けて足を組んだ。
慎一くんもイライラしたように無造作に髪を掻き上げている。
「ねぇ、二人とも!」
「何だよ、ヒナコには関係無いだろ」
うるさそうに言う蒼くんにカチンと来た私は、「関係あるよ!」と声を荒げた。
「あのね、何が原因で二人が喧嘩してるかなんて、正直どうでもいいの。でも、同じ家に住んでるんだから、二人がそんなに雰囲気悪かったら嫌でも私まで巻き込まれちゃうのよ。分かる?」
私の剣幕に、二人とも同じような表情で目を丸くしている。最近顔が似てきたんじゃないの、と私は心の中で悪態を吐いた。

「ごめん、日菜ちゃん。実はさ……」
言いかけた慎一くんの言葉にかぶさるように、「慎ちゃんがっ!」と蒼くんが大声を出した。弾かれるように私たちが蒼くんの方を向くと、さっきとはまったく違う弱々しい声で「だって、慎ちゃんが……」とつぶやくようにもう一度言った。
「慎一くんが、どうしたの?」
私は蒼くんの目を覗き込むようにして、優しく次の声を促す。
蒼くんはちら、と慎一くんに目を向けるけれど、すぐ逸らして下を向く。その様子を見て、慎一くんは黙ってため息をついた。
「慎ちゃんがさ……、次の映画を断れって言うんだよ」
悔しそうに、でも同じくらい悲しそうに蒼くんがポツポツと言葉を並べる。
「今度映画に出ることになりそうなんだけどさ、出るな、って言うの」
「どうして?ねぇ、慎一くん」
私が聞いても、慎一くんは黙ったまま答えない。

「越智正臣さんの映画にね、抜擢されたの。でね、撮影はパリでするんだって」
口を開く気が無いようにも見える慎一くんを無視して、蒼くんがうれしそうに話してくれる。
蒼くんが喜ぶのは当然のことだった。
越智正臣氏と言えば、映画監督としては巨匠とも言われる人物で、今まで国内外問わず多くの賞を受賞している。
彼の映画の特徴として、オーディションは行わず本人が認めた俳優にしか声をかけないことで知られている。役に抜擢されるということはつまり、知名度ではなく俳優としての実力を認められたことを意味するのだ。
今回も当然ながら向こうから蒼くんに声をかけてきたらしい。
「俺なんてまだまだ若造だから、ヒロインの弟役なんだけどね。それでも名誉あることなんだよ」
アイドルとして歌も芝居もトークも何でもできる蒼くんだけど、「お芝居が一番好き」と言っていた彼は、その実力を認められたことがとてもうれしかったのだろう。そしてそれを慎一くんに褒めてほしかったのに……。

「慎一くんがその役を降りろ、って言ったのね?」
そう私が言うと、蒼くんがしゅんとして頷いた。
きっと慎一くんには何か考えがあるのだろうけれど私には想像もつかなくて、もう一度問い詰める。
すると慎一くんは腕を組みながら、しぶしぶ口を開いた。
「蒼、ちゃんと説明しろよ。その役、濡れ場のシーンがあるんだろ?」
ぶっきらぼうに吐き出した慎一くんの言葉に、私は思わず「えっ?」と声を上げてしまった。
「そ、そうなの?蒼くん……」
俯いたままコクンと蒼くんが頷いた。なるほどね、と、慎一くんが怒っている理由に納得しつつ、私は少しショックを受けていた。
確かに役に抜擢されたことは喜ばしいことだけど、そういうシーンも演じなければいけないとなると、なんとも言えない気持ちになるのはどうしてだろう。
友達のような関係の私でもそうなのだから、恋人の慎一くんがもっと複雑な気持ちになるのは当然のことだ。

「俺だって、好きでそんなシーンをするわけじゃないよ?でもそれが……、その役に必要だったら、演じるしか無いじゃない」
蒼くんが半分涙の混じった声で、誰にともなく訴えかけてくる。ポツリポツリと話しているのは、慎一くんの気持ちを気遣ってのことかもしれない。
慎一くんは、はぁっ、と大きなため息をついた。それが聞こえただろう蒼くんは小さく息を吸い込み、言った。

「だってそれが俺の仕事なんだもん……」

蒼くんの大きな目は、涙が溢れそうになってゆらゆら揺れている。
きっと蒼くん自身も複雑な思いなんだろうな、と思った。仕事と自分の感情との間で悩んでいたのかもしれない。
これは悩み抜いた先に出した結論なのだろう。
慎一くんは蒼くんに目を遣り、苦しそうに顔をしかめている。
そしてもう一度ため息をつくと、「ちょっと考えさせて」と言ってベランダに出てしまった。

慎一くんも悩んでいるのだろう。社会人としての蒼くんと、恋人としての蒼くんとの間で葛藤しているのかもしれない。
私は、慎一くんが蒼くんの仕事に対する姿勢を尊敬している、と言っていたのを思い出していた。
尊敬はしていても、内容が内容なだけに「よしっ、頑張れ!」と言えないもどかしさが、慎一くんの背中から伝わってくる気がしていた。
一方で、ますます泣きそうな表情でその後ろ姿を見送る蒼くんは、迷子のように心細そうに見えた。
蒼くんはソファに移動すると、クッションを抱えて小さく座った。

「……ねぇ、ヒナコはどう思う?」
一向に戻って来ない慎一くんを待ちくたびれた蒼くんが私に声をかけてくる。
「私は……」

私は出演するべきだと思っていた。正確にはそう思い始めたところだった。
最初にその話を聞いた時は、慎一くんと同じように即座に断るべきだと思ったのだけれど、蒼くんの言葉を聞いて考えが変わったのだ。
「それが俺の仕事なんだもん」
その短い言葉に、蒼くんの思いがすべて詰まっているように思えた。
それが仕事なら、たとえどんな内容でもやらなくてはいけない、という覚悟の言葉だった。
演じることが蒼くんの仕事の一つで、それにともなう嫌な仕事も同様にやり遂げていかなければ成長もできないし、周りから認められることも無い。
今回のこの仕事は、今までの蒼くんの実績を評価されたものであると同時に、新たな課題の意味があるのかもしれない。これは乗り越えなければいけない壁なのだ。

「きっと慎一くんも分かってるよ。慎一くんだって仕事でそういう経験をしてると思うしね。ただ、心がついていかないんだよ。蒼くんのことが大好きだから」
蒼くんは私の言葉に力なく微笑むと、遠慮がちにベランダの方に首を伸ばした。
そんな蒼くんを見て、今度は私が微笑んでしまう。今夜は風が冷たいから、長い時間外にいる慎一くんが心配なのだろう。
「もう、心配なんでしょ?ほら、このブランケット持って蒼くんも行っておいでよ。慎一くんと話しておいで」
きっと慎一くんは戻って来るきっかけを待ってるよ、という言葉は飲み込んで。
一瞬頷きかけた蒼くんは、「でも……」とか「慎ちゃんは……」とか言いながら、なかなか席を立とうとしない。
(まったく世話が焼けるんだから!)
私は半分強引に蒼くんを立たせてブランケットを押し付けると、ベランダの方へと背中を押した。

ベランダに出た蒼くんは一瞬躊躇して立ち止まったけれど、扉も閉めずにまっすぐに慎一くんの方に歩いていった。そしてそのまま迷うことなくピトッと背中に抱きついた。
彼らの様子を窺っていた私は思わぬ展開に苦笑いする。
(まぁ、いいか。それがあの二人だもん)
しばらくすると、ボソボソと話し声が聞こえてきた。何を話しているのか、内容までは聞き取れないけれど、慎一くんに後ろからくっついている蒼くんの背中が心なしか緊張から解放された雰囲気だったので、私はほっとしてキッチンに向かった。
二人が戻ってきたら、温かいワインでも作ってあげよう。
私は食器を洗いながらそう思いついて、自然と笑顔になっていた。

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