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「感情」論

【過去記事です】


福田恆存著『人間の生き方、ものの考え方』を立ち読み。人間の80%は感情で出来ているのに、知性の方が感情よりレベルが上の様に捉えられている。「きみ、それは感情論だよ」という人こそ実は感情的になっている。感情をこめて論じる事こそ正当であると。

なぜ感情が表に出ると「嫌われる」のか。それは人間の醜さを映し出すからだろうか。感情には確かに自ら蓋をしてしまいたくなる部分がある。それを「極端な感情」と一応規定してみる。あ、福田恆存、もう関係ないです。怒りや猜疑心、鬱屈といったもの。平々凡々とした暮らしの中では、時に表に出るが、大抵は自ら抑えつけるか爆発しても反省する。

「極端な感情」の度合いが少なめのものが「意義ある感情の変化」だと思う。もちろん、人生経験を豊かにするためには「極端な感情」を露呈したり、他人から受け止めたりするのは有意義である。理性が中心の優等生が挫折に弱いようなものだ。私の言う「意義ある感情の変化」は、人との触れ合い、読書や音楽といった創作物から得られる感動で引き起こされる。これが重要な気がしてならない。しかも、インプットもさることながら、アウトプットも必要である。アウトプットはそれこそ感情の発信だが、知性や理性がフォローするべき。そこに思考が必要な場合もある。思考には、当然知性や理性が必要だが、そこが逆転して感情が遠のいては伝わりにくい。

感情の変化と理性の関係、このバランスは難しいし、誤解も生みやすい。それを自分なりに考えてゆく毎日、それが人生のような気もする。

(単なるオマケ曲)

Allen Toussaint - Southern Nights


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