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梅とねこと戦闘機

せっかくソウルにきたんだしと最終日に訪れた戦争記念館。国連本部でも移ったかというような門構えで中もすごい規模。

ソウルの戦争記念館と言ったって、この国の大多数の見解を反映しているとは言えないし、むかし靖国神社の記念館を訪れた時と似た「ここはどこや」っていう違和感もあった。ただそれぞれの歴史ってもちろんたくさんの事実を含んでいて、いろんな窓をのぞき込んで、事実のかけらを拾ってみる作業って大事だ。過去のことって未来のために学ぶのだし。

ひととおりまわって外に出るとレンギョウというんだっけ、ほっぽっと咲く黄色い花が満開で迎えてくれた。ソウルを歩いてこの花をたくさん見かけた。かわいくて素朴な花。間に咲く桜みたいな梅の花がおいしい香りを放って、思わず鼻を埋める。花々の奥には立派な戦闘機と、三毛猫が一匹うろうろと食べ物を探している。

もしも自分が有能なパイロットで、もうほんとに飛行機が好きで好きで、でもたまたま世界中が戦争をしていて、食っていくには戦闘機に乗って爆弾を落とすしかなかったら、なんて面倒な問いを自分と彼とに投げてみる。こういうのって考えてみても、その時の自分に聞くしか答えはわからない。戦争のない場所にいても、パイロットじゃなくても、知ってか知らずか自分の意志にそぐわない行動に加担することはもう日々のあらゆる小さな決断の場面にちりばめられていて、なかなか面倒な世の中だ。

有能なパイロットだったらとかエンジニアだったらとか、そんな大きな残酷な決断をできればしたくないし、自分でそれを決めることさえできない世の中になるのが嫌だから、わたしは戦争は嫌だと思う。となると、選択の自由があるうちに日々の小さな選択を自分でしていくほうがいい。食べ物だったりエネルギーだったり仕事だったり。それは面倒だけど意外と楽しい。

 市役所前から大通りを歩いた時、警察官とその車両にぐるりと囲まれた施設があって、何事かと思ったらアメリカ合衆国大使館だった。カラフルな街のど真ん中、場所を間違ったように建っている。門の前にはプラカードを持った人がちらほら。ドナルドトランプを茶化した写真から、何が書かれているか連想してみる。韓国は独立100周年の年。誰だって、自分のことを自分で決める自由は欲しいし、侮蔑や暴力を受けるのは嫌なもの。日本の支配から解放されて、今度はアメリカ合衆国。韓国の持つ、ちょっと複雑な事情。

 最後の夜はマーケットに寄り道。彼がドーナツひとつ買ったら、やたら楽しそうなおばちゃんが私にもひとつ手渡してくれた。焼肉の後でおなかがいっぱいだったんだけど、「ドーナツもらったどー」なんて嬉しくなっちゃって、ふたりでむしゃむしゃ食べながら、遠回りして帰路に着いた。

 

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