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窓際のおっさん22_臭いセリフに注意せよ_他人に頼るなバカになれ?(後編)

 前回は「他人の力ばっかり借りるな」という台詞を、海外派遣準備でいきなり浴びせられたおっさんの体験と考察を述べた。
 今回はその続きと、同じ海外派遣中に言われた「バカになれ」という台詞についての体験談と、臭いセリフに騙されないで欲しいという意見を語りたい。

<臭いセリフはコンプレックスからの論点ずらし>



 部下後輩にマウントを取る。他人の力を借りることは恥でプライドが傷つく行為であると強く意識させて支配する。頼ってばかりでは評価が下がるぞと脅しにかかる。

 例えばこれらの行いは裏返せば。。。

 部下後輩に馬鹿にされたくない。他人に頼るなんて俺のプライドが許さん。誰かに頼って評価下がったらどうしよう。

 である。

 こうしたコンプレックスが大元に燻って喋っている人は、大概臭いセリフを言って怒るので、よく分かると思う。

 言うまでもなく、誰かの力を借りっぱなしでも、評価など一切落ちない人だっている。むしろ相手に頼れば気に入られることだってある。素直に学べば逆に評価が上がることもある。そうならないのは、その人のスタンスに問題があるのだと気がつけるかどうかだ。

 ところが問題者は、弱さに触れられたくない一心に凝り固まるので、論点ずらしのための、臭さのまとわりついた、らしい台詞にばかりに走るのだろう。

<臭いセリフは一見「名言」ぽいので、聞いたものが易行に走りやすい>


 浅はかなモラリストやマナー論者は、摩擦が起こること自体を嫌う節があり、おっさんのような状況においても問題者の臭いセリフにも過剰に反応して、大事なことを見失ってしまう事がよくあるように思う。

 冷静に分析して怒りを鎮めるなら良いが、問題者に感化されて他者に厳しく当たり、怒りの原因すら説明できなくなって「自分で考えろ!」などと、自身もまた臭いセリフを吐いてしまうような問題者に成りがちである。

 名言も普通の言葉も、結局は文脈や状況、浴びせる本人、浴びせられた相手全ての情報を拾って判断しないと本当の意味から遠ざかる。

 にもかかわらず、名言的セリフ回しの持つパワーによって、白いものを黒いものと言わせてしまう状況が多々起こる。ここに危うさがある。

 問題者はそれを本能的に心得ているようで、思い通りにしたいがために、臭いセリフを好んで使うように思う。

 そしてあまり物事を深く考えない人は、その言葉に感激したり、恐れたりして、妄信、盲従してしまう。文脈や状況、浴びせる本人、浴びせられた相手全ての情報から考察することは案外面倒くさいものだが、そうした文字通り「行」を飛ばした易行では、真実にたどり着けない。

 結局、冷静になれず、よく考えない人ほど、名言的セリフ回しのパワーに圧倒される、臭いセリフによる間違いが蔓延するのが世の常だ。

<バカになれ?>

 そして、その状況を誘うかのような典型的な臭いセリフが「バカになれ」ではないだろうか。


 何も考えるな、俺の言う事に従え、という意思が子供にも丸見えの臭すぎる台詞である。

 おっさんも、前回述べた海外派遣(ラオス)の仕事で、一切打ち解ける様子が無かったことから

「コンゾーは考えすぎだ!バカになれ!」と色々な人に言われることになった。

 入口からいじめ倒されてきたのだ、そんな臭いセリフで心など開く筈もない。

バカになどなってはいけない。なってたまるか。


 おっさんの状況とはまた別の状況で、多くの人が、バカになれ、バカになれ、と呪いの言葉をかけられたことがあると思う。

 バカになれの本来の意味は、どうでもいいことに気を揉むな、バカは相手にせずバカのふりしてやり過ごせということである。また、起業家やフロンティアの冒険者にとっては、いささか別の意味も持っていて、バカじゃないとこんな無謀はできないよ、という、真似できないことをやれという意味、自虐や同族たちへのアイロニーとしての意味も含んでいる。非常に使い手と状況を選ぶセリフではないか。

 なのにそれを多用するなどこれほど臭いセリフは他にない。 

 バカにバカになれと言われてバカになる程の大バカには絶対になってはならない。自分で進んでバカになるならともかく、人に言われてバカになっても、バカにバカにされるだけのみじめな末路しかない。


<名言を生み出した当人程、それは名言ではないと否定するように思う>



 今までの例のように、臭いセリフに感化される人や多用する人は案外多いが、その基となる本当の名言を述べた人は大概その状況に苦笑いをしているように思う。

 言葉は単独で切り取るのではなく、そこに至る過程や心情の変化、時代背景や状況の積み重ねを含ませなければ意味が失われる。

 背景を顧みることなくこともなく、なんとなくかっこいいセリフだからと有難がったり、自分に都合よく使うのは、それこそ前編の最初に述べた「他人の力ばっかり借りるな」ではないだろうか。

 加えて、名言によって感化される人は一定多数いるので、一般化され、お手軽感が強く他人の力を借りているという自覚も薄れていく。

 世の有名人が、良しにつけ、悪しにつけ、自分のセリフを使われるのを嫌がるのは、そうした人々の図々しさや無礼さ、そしてそのことに気が付きすらしない愚かさにうんざりするからではないだろうか。

言葉には感情が乗る。名言らしき言葉を用いれば、感情を増幅させる効果があるが、故に臭いセリフにならないように使い方には注意してもらいたい。


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