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彷徨うおっさん57 分断する男女(7/7) 意味不明化しているとされる女性 そう大雑把に定義する限り分断は広がる

 前回は、最近よく言われる「共感論」によって、先鋭化された恋愛観に拍車がかかっている可能性について述べた。また「蛙化現象」の増加についての考察を述べた。
 最終回の今回は、そうした現象の全てをひっくるめて「意味不明化」しているとされる女性の現状について、本当のところはどうなのか? その考察を述べ、締めくくりたい。

<意味不明化?する女性 本当はただの人間では?>


 態度、好条件、共感論による選抜とコントロール、果ては蛙化現象。
 同じ人間なのに、恋愛においてはこうも理想を求め、潔癖化していく現代女性。
 最近は若い男性も恋愛に潔癖であるように思うが、女性のそれははるかに、過剰に先鋭化されて潔癖になったように思う。

 おっさんからすると結局人は人である、女だって腹の内側もケツの穴も汚いのは良く知っている。相手に完璧を求めていても始まらず、汚くても愛するもんであると思う。

 例えば昔付き合っていた彼女について話す。

 お菓子を貰って食べたのだが、あまりにも歯につくので虫歯を恐れ、歯についたお菓子をデート中、唾液と舌で分からないように静かに除去していたおっさん。
 だが、その仕草を敏感に察知して「汚い」と言って、彼女はデート後にもクドクドメールで文句を言って来た。

 だが彼女の方はというと、意外と綺麗な容姿の割に、香水がきつくて虫歯で、
犬にキスはするし、その彼女とのキスも糊の味
だった。 

衛生的にはめちゃくちゃ汚いし、正直言って好きでなければキスするのも嫌だ。


 だが当初、それで嫌ったりはしなかった。おっさんが嫌ったのは、あくまで合理的にコッソリ虫歯予防をしていただけなのに、目ざとくそれを指摘して細かくケチをつけてきた、恋愛の態度に対する潔癖さにだ。

 自分のことを棚に上げてとまでは言うつもりはなかったが、結果そう言いたくなるぐらいに意味不明な女だと思ったのである。

<私は意味不明ですと宣言することで、優位に立とうとしてないか?>


 女性は意味不明な生き物であるという旨の論考を述べた書き物が最近は目立つが、まあ本当に、こうも現実離れした理想をぶつけてくる生き物であることを体感すると、頷かざるを得ないところではある。
 が、生来のものとして女性が意味不明なのかと言うと。。。そこは結論が早いのではないだろうか?


 全6回で述べてきたように、ここ数十年の恋愛観の歴史の積み重ねによって価値基準が先鋭化し、それを歪に補うような形で、男女関係の解釈に伴う、的外れな解釈や論考が飛び交った挙句、女性を意味不明と定義することで概ね誤魔化しているだけなのではないだろうか。

 要は時流さえ除けば、結局個人次第ではないかとおっさんは思う。


 男性に対してモンスター化したり、共感ばかり求める子供になったり、果ては理想で現実が見えず、年老いても子世代を価値観で縛り付け、今も社会に影を落とし続ける。それらの醜さを隠すため「意味不明な生き物」と、勝手に自称して、誤魔化しているだけではないだろうか。

 1対1の男女関係で言えば、真実は、一人の本能丸出しの面倒臭い女と、そこに固執する哀れな男がいるだけだ。一般化は違うと思う。

 今の分断する男女は、経済も含めて色々な問題で説明することも出来るが、少なくとも精神的成長や、人間的な絆という面では、誤った論考が広がりすぎていて、
男女間でそれらの発展構築が難しくなってしまい、代わりに雑な定義やカテゴライズの横行によって相互の誤解が進み、分断に至っているように思う。

 語ればキリがない程に、ここ数十年で男女に纏わる価値観が著しく変化し、女性が時流に飲まれてコロコロと変化し、更にそれを「元々の女性の性質」と割り切るような風潮で締めくくった結果ではなかろうか。

 誤った考察は女性にとって分かり易く、一面都合も良いなどの理由で拡散したが、実態としては問題が解決しないまま、何十年も時が経過しただけの、歯痒い現状に思う。

<誰が煽ったか分断する男女 人はただ、幸せになりたいだけの筈なんだが>


 世の中には男と女しかいない(と最近いうと怒られることもあるが)。だからこそ何かにつけて揉めたり擦れたりする。
 また、ここ数十年だけでなく、古来から男女というものは、役割分担他で、対立してきた歴史もある。
 モラルや文化風習による遠慮もあり、時代が進むほどコンプライアンスも絡み、一方で根深くもあり、なかなか理解が進まないというのもあるとは思う。

 だがもう少し、昨今の流れを冷静に俯瞰し、分断について見つめなおしては如何だろうか。

 おっさんは「男は、女は」と散々分母を大きくして語ってきたが、決して個々人の性質を大括りで決めつけるつもりはない。
 あくまで昨今の「男女論」によるバイアスの影響をもろに受けている男女に対して、疑問を投げかけるために、「男は、女は」という言い方に終始する文章をしばしば書いているのだ。

 積み上げられ、先鋭化を続けてきた文化や思想によって、カテゴリー「男」や、カテゴリー「女」が、極端に決まり、それを都合よく利用・解釈する形での人間関係が良くないと、語ってきたつもりである。

 おっさんは若い頃は特に、女性とイチャイチャしたいと思っていたことをはっきりと認める。そして本能的に、美しい女性は好きだ。そして現在は「人間として」も、仲良くしたいと心から考えている。どちらでも構わないと思うが、とにかく「より多くの男女の幸福」を追求したいと考えているのは変わらない。

 ところが厄介なことに、現代に生きている限り、男女に纏わるなにやら妙な、決めつけがましい価値観が、その気持ちを常に挫きに掛かってくる。

 甚だ理想論ではあるものの、そうした好ましくない価値観を、より多くの人が、もっと俯瞰認識し、分析して欲しいと思う。結果として次の時代にはもっと、男女が溶け合う方向に向かうような文化や思想体系を皆で構築できればと、願う所である。


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