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彷徨うおっさん50 怒るじじいと泣く女(4/4) 何かと言うと女は涙 じじいも女ももっとクールで良いよ

 前回は、泣く女のせいで、男が辛いという状況について述べた。今回はその続きの体験談と、怒るじじい、泣く女の共通する特性について、おっさんの想いを述べ、締めくくりたい。

<前回の続き>


 また別の件。別の女性。デート終わりに、その日のデートでの出来事を理由に、急に不安感をぶつけられる。
 デート中目的地が分からなくなり、おっさんが飲み物を買ってくる間に、道を訊いておいてと彼女にお願いしたのだが。。。

彼女「なんであの時私のことほったらかしたの?」

おっさん「う~ん…道訊いたりするぐらい何ともないかなって。」

彼女「私が考えた場所じゃないんだし、道なんて訊けるわけないじゃん(涙目)。」

おっさん「そうか…ごめん、今度からは俺が確認しておくから。」

彼女「こんなんで結婚とか、この先やっていけるのかなぁ…グズッ。」

おっさん「俺がいない時にも一人でそれぐらいは。。。って思ったんだけどな。でも分かった。そこはもう言わないよ。」

この時は後でメールが来て、愛情を試すようなことを言ってごめんとのことだったが。。。

やれやれ。。。
 可愛い彼女と楽しい逢瀬のはずが、思い出せばこんな経験ばかりであり、おっさんは未だに独身である。
 某ジャンプの銀髪天然パーマの主人公のように、爛れた恋愛経験しかしていないという事だろうか(とほほ)。

 女を見る目が無いのは認めるが、こうなる原因はそれだけではないとおっさんは主張したい。なにせそもそもとして、泣くのを何とも思っていない女が多いように思う。そうでなくとも、怒ったり、試したり、感情をコントロールできない女があまりにも多いではないかと感じる。

 また、友人にはおっさんが優しいから付け上がられる等とも言われたことがあるが、おっさんという人間なり男にではなく、おっさんの持つ快適さに惚れているに過ぎないのか。。。

 かくも女は自分の感情最優先。非日常を貪る、終わりのないジェットコースターである。と、あくまでおっさんには経験として刷り込まれてしまっている。

 疲れたおっさんに気を遣うどころか、我を通すためにすすり泣きまでして感情のために動く。
 試し行為もまた感情。たかだか道を訊く程度で負担を感じてグズって涙を見せるのも感情。

 付き合ったどの女性も、付き合って1か月ぐらいは、大概甘々で、甲斐甲斐しく、世話を焼くような態度を取るなど愛情深い人だなと感じるのだが、慣れてくると途端に感情をぶつけてくるだけのモンスターになってくる。。。
 その性質を見るに、おっさんと別れた後も、次の男に刺激を求めて、懲りもせずに感情をぶつけているに違いないとすら思う。

 泣く女といると、余りにも感情が乱高下して、人生が辛い。


<怒るじじいも泣く女も根本は一緒である>


 今回もややとりとめもなく体験を書いてきたが、怒るじじいも泣く女も根本は一緒、即ち、感情のコントロールが未熟な人種である。

 一時期の時代の価値観や、恐らく文化的に女性の在り様としての「泣くこと」の意味が免罪符となっていて、それが未熟な感情コントロールの横行につながっているように思う。 

 じじいだろうと女だろうと、真実としては、どう転んでも機嫌のいい人の方が好かれる。感情豊かな人は見ていて楽しいこともあるが、ずっと側にいたいとは思わない。


 機嫌がいいとは、ノリノリで明るいとか、安っぽく共鳴してくれるとかではなく。大抵のことでは動じず、穏やかに「ニッ」としていられる人ではないだろうか。

 機嫌のいい人というのは、対処も冷静で無駄がなく、本来的には仕事ができるようにも思うのだが、仕事でもプライベートでも、まだまだ現状では、人間味がないなどと称しつつ「なんとなく気に入らない奴ら」として評価の低い人間として扱われているように思う。

 今回は氷河期前の怒るじじい共と、大まか全世代の泣き虫女を批判したが、当たっているなと思った人も、そうでない人も、一様に平らかな心を指向して欲しい。

 終わりのない感情合戦の終結、人と人との相互理解の第一歩には、一人一人の、もっと平らかな心が必要であると思う。


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