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彷徨うおっさん52 分断する男女(2/7) 2010年代 おっさん最後の爛れた恋愛経験

 前回は、男女の分断が進む時代について問いかけ、体験として、1980年代から2000年代あたりで、恋愛至上主義が先鋭化し、蔓延したという意見(おっさんの経験に基づく肌感覚の推論)を述べた。

 今回はその続きとして、2010年代の、男女関係(恋愛・結婚)について、同様におっさんの体験を語りたい。

<氷河期に入る一方、男女関係の先鋭化は止まらない>


 2010年代は述べてきたように、恋愛における「能力主義の流れ」が頂点を極めたような、ある意味で男にとって深刻な時代であったようにも思わる。

 氷河期世代が結婚適齢期であった時代でもあったのだが、にもかかわらず男女関係の理想は高く、相変わらず現実として男女が結び付く選択は乏しかった。
 良い仕事が見つからず、恋愛どころではないのに、結婚市場は先鋭化された恋愛至上主義という、完全にチグハグになっている時代だ。

 この時、特に国内では、恋愛以外の面で多くは、右肩下がりというだけで目立った変化はなく、失われた20年という言葉が飛び交っていた。

 現役世代のうち、上の世代(団塊とそのちょい下ぐらいの世代)は、革新的なことを拒否し、逃げ切りを画策していた。一方で下の世代は、情報化社会で膨れ上がる仕事量に対して、上の世代が改革をしなかったことによるツケを払うなど割を食っていた。(例えば旧態依然としたやり方に一兵卒として従事し、手段を制限され、ミスをすると怒られる。スキルは自力獲得を要すが会社での評価は頭打ち、給与は年功序列で据え置きで、就職氷河期によって立場は選べない状態に甘んじるしかないといった状況)

 恋愛・結婚以前に、生き物として、若い身空で性的にムラムラしつつも、なんだかんだ己を維持するだけで精いっぱいの時代であったように思う。

<2010年代、おそらくこの辺りで、恋愛・結婚に関する価値観が再び大きく変わっていった>


 2010年代はそれでもまだ、なんとか婚活というものが機能していたようには思う。男目線で言えば、古い時代の価値観に基づきつつも「女の子と仲良くしたい」「結婚して子供ぐらいは欲しい」という意識に基づく需給関係から男余りであったし、男女を結びつける上での、最後の手段として、色々な紹介サービスが良いビジネスとして機能していたように思う。

 しかし、2000年代までに確立した恋愛至上主義、恋愛における能力至上主義の先鋭化は収まらず、例えば男は学歴や年収、仕事によって選り好みされるといった現状は、加速し続けていた。

 おっさんも最初の彼女と別れ、家族ともひと悶着あってそれが落ち着いたあと、新しい家庭作りに活路を見出したくて婚活を多少はやってみたが、そのシステムにおいて男たちは、半ばショーウィンドウに飾られた「物」としての扱いを受け、女性様に買ってもらうのを待つといった状況だった。

 ステータスだけを見て「あらおいしそ」と声をかけてくる女性もいたが、いざデートしてみると。。。

 「こちらから連絡します」などと思わせぶりな態度を取りつつ、一方的に無視して放置される
 (振るのは構わないが、まったく誠実ではない)。

 男が奢ってもお礼の言葉すらない
 (この時は成婚したかったら、まだまだ奢れが当たり前)。

 会話が薄っぺらい(ディズニーとお笑いとスイーツばかり)割に、真面目な話をすると草食系がどうとか、そんなことでは女の子と会話ができないなどと言って怒るなど、余りにも文化が異なっており、反応も感情たっぷりで面倒。

 正直言ってこういう相手にこういう振られ方を繰り返す日々は、就活よりも遥かに精神的に辛かった。


 また、色々やってみて、相手(女性)が(婚活市場における)おっさんをどう見ているのかが段々と分かってきて、極端に言えば、人間的結びつきや、真っ当な社会参画を求めているのではなく、有能な男性との一方的契約と、それに付随する居心地のよさだけを求めている感じが見て取れた。

 おっさんも周囲の男達も、徐々に、こうした風潮に熱が冷め、30前半から半ばまでの何処かで、徐々に一人で自分の人生を充実させるべく、考えが変わっていったかのように思う。


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