ひと匙日記 母へ

5月16日(火)

 部屋にピース又吉直樹さんの著書「月と散文」が四冊ある。特装版が一冊と通常版(松本大洋先生装丁)が三冊。そのうちの二冊はサインが入っている。特装版は別にして、なぜ通常盤が三冊になったのかと言えば、

①発売日前日に書店に行くと「著者サイン本」と書かれた本が置いてあり、思わず手にしたもの。
②発売日当日に「やはりサインはいつか直接書いていただきたいな」と思いサイン本ではない本を買ったもの。
③先日、サイン本お渡し会という催しに参加し、又吉さんご本人から直接受け取ったもの。

 せっかく三冊もあるので一冊を母にプレゼントしようと思った。が、最近母は、「終活」と称して本の購入を一切やめているらしい。もともと読書好きの母ではあるが、いま、本は全て図書館で借りて読んでいるという。そんな状況を聞いてしまうと、母に本を渡して「え…」という反応がくるのが怖い。それというのも母へのプレゼントには苦い思い出がある。もう六年ほど前になるが、わたしがスペインに旅行にいった際、母へのお土産にサグラダファミリアのお土産ショップで購入したマグカップを渡した時、露骨に嫌な顔をしていたのだ。いや、これは母が悪いのではない。実家にはマグカップがすでに大量にあった。そして母は以前「割れたら処分できるけど、割れてないのに捨てるのはちょっと気が引けるのよね。本当に割れてもいいと思ってるのに全然割れないのよ」と言っていたのだ。あの時のわたしは念願のスペイン旅行に浮かれ、通ってもないラテンの血が騒ぎ、サグラダファミリアに高揚しテンションMAX、思考回路が停止してしまい、母が喜ぶであろうものを見誤ってしまったのだ。そういった経緯もあり、本を渡すのはかなり危険なかけなのである。これが他の本ならば「そうだよね、もうものは増やさないって言ってたもんね」で済むが、又吉さんの本を断られるというのはかなり精神的につらい。わたしの著書ではないのに勝手につらい。又吉さんに全力で申し訳ない。母とはしばらく会っていないが、次に会う時には念の為「月と散文」を鞄に入れていこう。さりげなく又吉さんの話をしながら、読みたそうなかんじがあればすかさず鞄から取り出そう。

 いまならわかる。あの時、母に買うべきお土産は絶対にピアスだった。スペインの小洒落た雑貨屋のピアスだったのだ。愚かな娘、それはわたしだ。しかし、それでも母は微妙な表情をたたえたまま、他のマグカップたちを静かに戸棚に仕舞い、サグラダファミリアマグをいまも使い続けてくれている。