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ひと匙日記 「さよならのあとで」夏葉社

5月27日(土)

 「さよならのあとで」を最初に書店で見かけたのはもう何年も前だった。装丁の美しさに惹かれ、手に取ろうと思った時、帯文が目に入り手が止まった。

いちばん大きなかなしみに

あぁ…今はまだ読めないかも…と思い、わたしはその本を手に取らないまま書店を出た。

あれから随分と時が経って、わたしは夏葉社の島田潤一郎さんのトークイベントを聴きに行った。島田さんの従兄さんの話、叔父さんと叔母さんのために出版社を立ち上げ本を作った話。なぜ本を読むのか。本で得るものとは。わたしは時々涙を堪えながら話を聴いていた。
そもそもわたしが島田さんのトークイベントに行った経緯はピース又吉直樹さんが書籍で夏葉社の本を紹介していた。というところからはじまる。まず、夏葉社という社名に惹かれた。なんて爽やかな清々しい名前だろうと思った。

ある日、Twitterで夏葉社が文章教室をするということを知り、思い切って応募してみた。抽選の結果、文章教室には落選してしまったが、落選を知らせるメールの文章に心を打たれた。なんて丁寧な文章を書く人なんだろう。その文体にお人柄があらわれている。わたしは夏葉社の島田潤一郎さんという人物のことが気になった。それから少しして、又吉さんがテレビで古書店の魅力について語る番組に出演された。するとその番組の中で夏葉社の島田さんが映ったのだ。又吉さんが島田さんとのエピソードを話しているのを照れながら謙遜しながら頷く姿が映った時、この人があのメールを送ってくれたのか…もう絶対良い人やん。と確信した。
わたしはすぐに島田さんの書籍「電車のなかで本を読む」を読むことにした。そしてその「電車のなかで本を読む」の出版記念イベントに参加し、島田さんの話を直接聴くことができたのだ。そのトークイベントの時に話していた本を読みたいなと思っていたが、ちょうど夏葉社から「孤独先生」という上林暁の本が出たところだったのでそちらを先に買った。そして、その孤独先生の出版記念トークイベントでわたしは再び島田さんの話を聴きに行くことになった。京都の古書店、善行堂の山本善行さんとのお話に胸が熱くなった。帰りに島田さんの書籍「あしたから出版社」を購入し、一気に読んだ。そして翌日、島田さんが叔父さんと叔母さんのために作った本「さよならのあとで」を書店に予約し買いに行った。

わたしはその本を見るまで、帯文を見るまで、その本が冒頭で書いたあの時の「さよならのあとで」だと気づいていなかった。あの時読むことを躊躇った本だった。わたしは家に帰って「さよならのあとで」を机に置いてしばらく表紙を見つめていた。もう、読めるかな。今の自分なら読めるかも知れない。わたしはゆっくりとページをめくった。一行ずつ、静かに、綴られていく言葉に、夫の声が重なる。夫との思い出が溢れてくる。夫の笑顔が浮かぶ。夫の方がつらいのにわたしが泣いてばかりいるもんだから、一生懸命笑わせようとしてくれた夫がそこにいる。なんども涙を拭いながらどうにか最後まで読むことができた。
気持ちが落ち着くと、わたしはあの時の本が今、目の前にあることについて考えた。あの時、書店で見たけれど手に取れなかった本が夏葉社のものであることも、島田さんのことも、島田さんがどういう理由で「さよならのあとで」を出版したのかも何も知らなかった。むしろ本のことも忘れていた。その本がいま、わたしの部屋にいる。不思議な気持ちだ。わたしは、わたしの気付かない間に、「さよならのあとで」にもう一度出逢う運命を辿っていたのだ。

又吉さん
夏葉社
島田さんのメール
又吉さんが出演したテレビに映った島田さん
電車のなかで本を読む
トークイベント
孤独先生
山本善行さんとのトークイベント
あしたから出版社

どれが欠けても「さよならのあとで」にもう一度出逢っていなかったかもしれない。
夫に話したらびっくりするだろうか。わたしが興奮気味に、ちょっと大袈裟に、ドラマチックに話しているのを、にこにこしながら、半分飽きれながら聞いてくれるんだろう。わたしが話終えるまで静かに聞いてくれたあとに、
「その本、大事にしいや」
たぶん、そんなふうに言うんだろう。

夫が29歳で夭折して今年で13年になる。
本当になんで自分なんかが生きているんだろうと思ったり、もう夫のいない人生なんてどうでもいいやと自暴自棄になったりした時もあったけど、今のわたしはメソメソ生きてないし、恋だってするし、カラオケで似てないCHAGE&ASKAのものまねするし、飲みすぎた翌日はゾンビよりひどい顔してるし、一日の大半を又吉さんのことを考えて暮らしているし、失恋もするし、褒められたいし、なんならモテたい。つまり元気だ。
それでも年に2、3回は突発的に涙する。子どものように泣きじゃくる。誰もいない場所で、ひとりで。

島田さんが「夏葉社」という社名にしたのは、亡くなった従兄さんと少しでもつながっている名前にしたかったからと、書籍に書かれていた。
わたしの「紺屋小町」という名前も、夫と過ごした町の名前から付けたものだったので、勝手に親近感が湧いてなんだか嬉しかった。

夫は今もずっとわたしの味方だ。それは生きていても死んでしまっても変わらない。何があっても味方でいてくれていると思うと安心して生きていける。

そしていま、わたしの本棚には「さよならのあとで」がある。