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動物たちの危機管理

【動物たちの危機管理】 中川志郎

危機管理能力

 イギリスの動物園研究家フィリップ・ストリート氏は、動物園は野生動物にとってのニューフリーダムの世界である、といった。

 野生動物たちは動物園でくらすことによって野生時代にもっていた行動の自由を失うが、そのかわり外敵や病気からの解放、飢えや乾きからの脱出が日常的に保障されるというのである。逆にいえば、自由気ままな生活のようにみえる野生の世界が多くの危険に満ちており、その生活を続けるのは大変な緊張とさまざまな能力が要求されるということだろう。

 たしかに、動物たちの生活を見ていると、危機的状況になったときに備えての保険・保障的な行動、すなわち危機管理能力がそれぞれに発達していることがわかる。それは種とし引き継がれていく過程で蓄積され微調整を繰り返しながら種のなかに定着したと考えられる。

自己防衛

 動物たちの身を守る手段はじつに多彩だ。いざというときに備えてつねに鎧、兜をつけているセンザンコウ、アルマジロ、また、カモフラージュの名手たちは見えないことがトラブルを未然に防ぐ。カメレオンの変身ぶりはよく知られているが、小枝のようなナナフシ、鳥の糞としか見えないようなチョウの幼虫、流れ藻の切れ端のように見えるタツノオトシゴ、樹皮にそっくりのガなど、出合うたびに進化の妙を見る思いがする。

 進化とはある意味で危機管理能力の集大成なのだといえるだろう。

 目立たせないでトラブルを未然に防ぐのとは反対に、わざと目立たせることで危険を避けようとするグループもある。

 毒ヘビ、毒ガエル、毒グモなどの有毒動物はカラフルな体の色をしているのが普通だ。ガラガラヘビになると、その名前のように音の発生装置を備えている。いったん相手の筋肉に刺さるとさらに深く刺さっていく棘毛をもつヤマアラシも、棘毛を打ちならしてアラームを発する。

 これらは自分の持っている秘密兵器をことさらに誇示することでトラブルを避けようとするわけで、抑止型といってよいだろう。ただ、こうした効果は、アラームを受ける側がその秘密兵器の威力を体験しているときに最も効果的にはたらくという一面がある。

 そして、身を隠していても、事前に警告を発しても、相手が接近してしまったときには最後の手段をとることになる。

 アメリカに住む白黒まだらのマダラスカンクがそうだ。敵が近づくと逆立ちして警告するが、それでも接近すると肛門腺から悪臭のある黄色い液体を発射する。これは臭いが強烈なだけではなく瞬間的な目つぶしにもなる。悪臭はかなり長い時間にわたって相手の嗅覚を麻痺させる。

 では秘密兵器を持たない動物はどうか。危機管理の方法はやはり備わっている。

 敵に襲われたら突然くずれ落ちるようになって動かなくなり、ぐったりとし、刺されても突かれてもぴくりともしない。いわゆる「死に真似」といわれるもので、敵の警戒心をゆるめておいてその隙に全速力で逃げる。アメリカオポッサムや日本のタヌキが有名だ。これはしかし意識的にそうするというよりも本当に気絶してしまうらしい。

 トカゲやカナヘビのように、自分の尻尾を敵の目前に残して逃げるという捨て身型もある。これは、尻尾を切り捨てても再生するという前提がないといけない。それがあって初めてできることである。

子を守る

 自己防衛が進化のなかでさまざまな方法を獲得してきたように、自分の遺伝子の継承者である子どもを守る方法も同じように進化してきている。その典型的な方法はある種の鳥類にみられる「おとり行動」だろう。

 典型的な例はチドリの仲間にみられる。

 巣は海岸などのひらけた砂地につくられ、砂や小石に似た卵を産み、ひなも保護色に守られている。石に似た卵を産み、ひなも保護色に守られている。それでも、キツネやイタチなどの外敵が巣に近づいてきたときには親が意識的に飛び出して外敵の前に身をさらす。しかもその場合、親鳥は体を折り曲げ翼を地面に引きずるようにして歩き、いかにも傷ついているように装う。

 これは捕食者にとっては魅力的な獲物となるので巣の中のひなよりもこちらに注目して追いかけることになる。そして親鳥は十分安全なところまで敵を引きつけた瞬間、卒然と立ち直って安全な方向へ飛び去っていく。

 私はこの「おとり行動」をツルがとるのを多摩動物公園で体験したことがある。アフリカ産のハゴロモヅルという美麗なツルがひなをかえした。無事に育って一週間ほどになったので識別用のバンド(足環)をひなに付けようとしたときのこと。飼育係がひなに近づくとおす親が猛然と向かってきた。飼育係は竹ぼうきで巧みにさばきながら進んだ。ひなに手が届きそうになったとたん、おす親が突然もんどり打って倒れ方翼を引きずるようにしてもがきはじめた。

 私たちはあわてておす親のもとへ走った。竹ぼうきの当たり場所でも悪かったかと思ったからだ。おす親は私たちが近づくと翼を引きずったままあえぎながら退いていく。こうなるともうひなどころではない。ところが五メートルほど後退したとき、もがいていたおす親は突然立ち上がり私たちの頭上を飛び越してひなとめす親の方に走ったのである。

 ひなは放飼場の藪の中に入ってしまっていた。もはや私たちの手で掴まえるには最も不向きな場所に身を潜めている。私たちはそのときになって初めておすおす親の企みに気がついた。彼は自分がおとりになって私たちを引きつけその間にひなを藪のなかに避難させたのである。

 私たちはこのひなにバンドを付けるのを断念した。無理にすればできないことはないのだが、子を守ろうとするおす親の捨て身の戦法がなんとも健気だったからである。

 こうしてみると動物たちの外敵に対する危機管理能力というものは、その場に臨んで新たに考え判断し対処するというよりも、種としての長い長い進化の歴史のなかで獲得され強化されて現在におよんでいると考えることができる。昨今、人間社会でも危機管理能力がいわれることが多いが、その生物学的な部分にも目を向けて考えることも必要なのではないだろうか。

動物たちのボランティア



中川志郎さん の プロフィール


1930年茨城県生まれ。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大)獣医科卒。
1952年より上野動物園に獣医として勤務。ロンドン動物学協会研修留学の後、同動物園飼育課長。
1984年、東京都立多摩動物公園園長。その間、初来日のパンダ、コアラの受け入れチームのリーダーを務める。
1987年、上野動物園園長。東京動物園協会理事長。
1994年、茨城県自然博物館館長。
その後、茨城県自然博物館名誉館長、(財)日本博物館協会顧問、(財)全日本社会教育連合会理事、(財)世界自然保護基金ジャパン理事、(財)日本動物愛護協会理事長を歴任。
2012年7月16日死去


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