読書嫌いを量産するもの・本当は本を読みたいと思ってるあなたへ
つい先日も読書離れの記事が出ていたようだが、なんだか今さら感があって、うんざりする。
スマホが読書離れを助長しているのは火を見るよりも明らかだ。
電車の中では、あらゆる電子機器の電源をオフにしなければいけなくすれば、かつてのように電車の中で新聞(もちろん紙の!)や漫画雑誌、そして本を読む人の比率は高まるだろう。今や絶滅危惧種である。
もしも今、電車の中でこの記事を読んでいるならば、顔を上げて、周りをぜひ見渡してほしい。一人でいる人は、スマホや電子機器に視線が没入している人がほとんどのはずだ。
しかし、スマホが世の中に存在しない頃から、特に若者の読書離れは話題になっていたのは間違いない。
本がもともと好きな人は別として、読書が好きにならないのは、学校の国語教育が一番悪いと思っている。
確実に誤解されると思うので、ここではっきりさせておくが、学校の国語教育のおかげで本が読めるようになっている。学校の国語教育に感謝こそすれ、恨む気持ちはこれっぽっちもない。
その上で、その前提の上で、本を読もうとしないのは国語教育のせいだと私は断言する。
学校の先生は、一部の例外はあるにせよ、だいたい元優等生だ。学校の先生が全員読書家であるとは限らないが、少なくとも中学校の国語の先生が読書が好きでないとしたら、かなりの少数派だろう。
優等生のすすめるものは、ほとんどが優等生向きなんだよ。一部の読書優等生にしか通用しない。
そういった本は面白くないんだよ、初心者には。
しかも課題の読書にはもれなく感想文がついてくる。
読書優等生はいいとして、あれは苦痛でしかない。そもそも本を大量に読んでいないと、文章というのは書けないのだ。
せめて、感想文を書く前に、小グループで感想の言い合いでもしたほうがまだましではないだろうか。そして、その感想には、絶対否定的なことを発言しないというルール付きで。ブレインストーミングのように。
私は国語にずうっと苦手意識があった。
大学1年か2年のとき、国語の授業の夢を見て苦しんだ。夢の途中で、今は大学生だ、国語の授業はもうない!これは夢だ!と夢の中で夢であることを見破り、目が覚めた。
大学何年生のときかは忘れたが、予備校のテキストを処分しているとき、ふと現代文のテキストをパラパラッとめくった。そこに出ていた文章は、自分が持っている本が出典だった。
え?入試問題って、こんなもんだったの?拍子抜けした。
そこからようやく、徐々にではあったが、国語に対する苦手意識が薄らいでいった。学校の国語の授業の記憶が薄らいでいったことも無関係ではあるまい。
学校の国語教育は、読書をどこか高尚なものに祭り上げているところがあると思う。
本を読むのはバーが高いもの、敷居が高いものになってしまう。
高尚な読書も間違いなく、ある。一方で低俗な読書も、ある。その両極端の間に膨大な本がある。
そのことをちゃんと学校でも教えてほしいよな。
他の誰が何と言おうと、たとえ低俗だと思われたとしても、自分が面白そうだと思ったものを、自分の欲望に素直になって、読めばいいんだよ。
例えば、どうやったら異性にモテるか、どうやったら好きな人に振り向いてもらえるかなんて、ほとんどの人が知りたいことじゃない?そういう本だって、いっぱい出てるよ。
読めばわかる、読書の破壊力。
読書と実践の繰り返しがとんでもない成果を生み出す。
このことに気づけば、なんで今まで本を読まなかったんだ!という後悔が押し寄せるだろう。
今はこの本を読んでる場合じゃない!と思いつつも読んでしまう本が本当に読みたい本だ。
途中で読むのがいやになったら、やめればいい。
(これは私も苦手だが、結果的にそういう本も多い)
これもできれば学校で教えてほしいことだ。
自分にぴったりの本を選ぶには、なんといっても書店に足を運ぶに限る。
その本が自分を見つめているから。
理由はいらないから、とにかくその本を手に取ってみて、パラパラッと中を見る。最初の方をちょっと立ち読みしてみる。
なぜかわからないが引き込まれたら、当たりだ。そうでなければ書棚に戻そう。平積みかもしれないけど。
何もピンとくるものがなければ、そのまま本屋を出ればいい。
今回はご縁がなかったということだ。
また別の機会に、同じ本屋でも別の本屋でも足を運んでみればいい。おすすめはちょっと悩みがあるときだ。
そういう意味で、書店がどんどんつぶれていくのは、本当に寂しいことだ。ふらっと寄れる行きつけの本屋、それは心置きなく話せる友人に近い。
もしも、近くに本屋がないよ、なくなっちゃったよ、最初の1冊何を読んだらいいかわからないよ、という人は、最近全然更新してないけど、以下のマガジンを参考にしてくれ。
私のお気に入りの本屋すべてに、この本『人生で大切なことはすべて「書店」で買える』は置いてある。これほど読書全肯定、かつ、読書に対する敷居の低い本を私は知らない。
読書本はやはりもともと読書が得意な人が書くからね。著者がどういう人かは、ネット情報ではなく、この本のプロローグを読んでほしい。
書店員さんも絶対に棚差ししておきたい本のはずだよ。
もしも最寄りの本屋に置いてなかったら、その本屋で注文しよう。そして、読んでからそこの店主をあなたが口説くんだ。この本を置いてくださいって。
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