私はボクシングが好きだ!:日本人世界王者⑩~ 畑山隆則 ~

元WBA世界スーパーフェザー級王者。元WBA世界ライト級王者、畑山隆則。
 畑山は、機関車のように繰り出す激しい連打とスピードが印象的なボクサーであった。私の中で、パンチの切れが抜群のボクサーだったという印象が強い。
中学時代は野球部に所属して、将来はプロ野球選手になることを夢見ていた。高校入学後、野球部先輩部員と対立し1ヵ月で退部。高校を中退してボクサー目指し上京。京浜川崎ボクシングジムで柳和龍トレーナーと出会う。
1993年6月17日、福村和宏を相手にプロデビュー戦を行い、初回KO勝ち。以後、4戦4勝(2KO)。
1994年2月13日、小谷繁と対戦し、3回KO勝ちを収めて全日本スーパーフェザー級新人王となり、MVPを獲得。以後、8戦8勝(8KO)。
1995年、タレント片岡鶴太郎をマネージャーに迎え入れる。
1996年3月18日、東京にて崔重七(韓国)とOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦を行い、2回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。
1997年10月5日、WBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑戦するも、ドローで王座の獲得に失敗した。
1998年3月29日、再起戦として18戦無敗の日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢に挑戦し、9回TKO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。お互いに無敗同士となったこの試合は「史上最大の日本タイトルマッチ」と称された。その後、日本王座を防衛することなく返上。この試合は日本タイトルマッチとしては9年ぶりの年間最高試合に選ばれた。
1998年9月5日、2度目の世界挑戦として前回引き分けた崔龍洙に再び挑戦し判定勝ちで、2度目の挑戦で無敗のまま世界王座の獲得に成功した。
1999年6月27日、同級1位の指名挑戦者ラクバ・シン(モンゴル)を迎えて2度目の防衛戦を行うも、5回TKO負けを喫し王座から陥落するとともにプロ初黒星を喫した。試合後の同年7月に現役引退を表明。
2000年、引退を撤回し、6月11日、階級をライト級に上げて復帰初戦で世界挑戦、WBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑戦。王者を翻弄し、合計5度のダウンを奪った末の8回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功し、2階級制覇を達成した。
2001年7月1日、同級1位の指名挑戦者で元WBA世界ライト級王者ジュリアン・ロルシー(フランス)を迎えて3度目の防衛戦を行うも、判定負けを喫し王座から陥落した。この試合を最後に2002年1月、正式に引退した。
引退後は、元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二と共同で竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを開設。
 畑山の試合で私の印象に残っているのは、何と言っても、坂本博之との対戦である。両者とも一歩も引かない壮絶な試合であったが、後半、畑山のパンチを多く受けていた坂本に疲労が見られるようになり、10回、畑山の右フックを浴び、ゆっくりとマットに沈んでいった。正直、両者を勝たせてやりたいと思ったほどであるが、伝説の試合を通して、畑山のボクサー魂を強く感じることが出来た。

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