森の歌

 夜中、小腹が減って台所に行くと、クマが歌っていた。
 その歌は雄々しくもどこか物悲しい響きで、思わず聴き入っているとどこか深い森の情景が浮かび上がってくるようだった。きっとクマが棲んでいた森なのだろう。
 クマは森に帰りたいのだと思った。それで森を想ってこんなに物悲しい声で歌っているのだと。
 クマの気持ちに感情移入して思わず涙ぐんでしまったが、そんなものは人間の勝手な思い込みに過ぎなかったとすぐに思い知ることとなった。自然とはそんな生やさしいものではなかった。
 クマの歌声の重低音に部屋が震え出す。それは野生のバイブレーションだ。野生の響きが部屋を満たしてゆく。辺りの空気が野生を取り戻し、辺りにむっとするような自然の匂いが立ち籠めはじめる。それはクマの暮していた森の匂いに違いない。
 それに気づいたとき、部屋はいっそう激しく震えた。もはや地震だ。
 立っていられずに手をついた床から、勢いよく青々とした草が生え出す。緑の匂いが濃くなった。クマが歌う。早くも床を覆い尽くしている下生えの狭間から、次々と樹が突き出してきた。それはあっというまに成長し、部屋を森へと変えていく。
 クマが勝利を宣言するようにひときわ巨大な雄叫びを上げた。それに応えるようjに、深い森と化した部屋にさざめきが広がってゆく。
 それは森に棲む無数の生き物たちが放つ命のバイブレーションだった。森があれば当然そこを住処とする無数の生命たちが集まってくる。クマの歌声は瞬く間に、部屋を本当の森へと変えてしまったのだ。
 そしてそれはまだ決して終わっていない。クマの歌声は、窓から見える外の風景をもどんどん森へと変えて行く。街中が森になるのも時間の問題だと思われた。
 クマは決して住処を追われた可哀想な生き物などではなかった。森を追われた森の王は、自分たちから森を奪った人間の住処を奪い返しに来たのだ。森の王はどこに行っても森の王だった。
 だが人間だって負けてはいない。いつかこの森をその手に取り戻し、再び街へと作り替える日がきっと来るはずだ。歴史はそうしてずっと繰り返しているのかもしれない。

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