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息苦しい世の中だ

冷たい対応

 知らずに停めたコンビニの前、職業訓練から帰ってくると自転車が消えていた。どうやら、市が放置自転車として撤去してしまったらしい。
 保管場所に自転車を受け取りに行くと2,000円を請求された。
 停めていたのはわずか3時間ほど。こういう時の役所の対応は驚くほど速い。(皮肉)

 そして、規則を知ろうが知るまいが、そこが公有地か私有地か知ろうが知るまいが、そんなのは関係ない。

 私が以前住んでいた市では、放置してはいけない場所に止めたら自転車に札のようなものを付けられ、ここは停めてはいけない場所なんだと警告を発してくれた。次回から気を付ければ済む話だった。まして、警告もせずにいきなり罰金を取るなんてことは決してしなかった。

 しかし、それが普通ではないか?

 警告も発さずにいきなり撤去してさらに返却料として2,000円も取るのはどう見てもやりすぎだ。
それが、人の生命や身体の安全に関わることならまだしも、放置自転車がそんなに緊急性を要する悪いことだとは思えない。
 停めてはいけない場所だと教えられれば、当然もう停めないし、多くの人だってそうするはずだ。

役所の闇深い体質

 現在無職、職業訓練受講中という事情が事情だけにおいそれと払える額じゃなかった。今日の食費すら切り詰めて生活している身だ。
 少し考えさせて欲しいと言って自転車を置いてきた。

 しかし、自転車を撤去したりお金を徴収する保管所の人は市の下請けのまた下請けのような人。話しても埒があかない。というか、有無を言わさず法令を執行するためにこういう組織の壁を何重にも作っているのだろう。
 そこで、保管所の人が教えてくれた市役所の番号に電話。決定権がない若手の職員が出る。こちらも結局同じ。

 組織というのは、個人と比べてある程度対応に柔軟性がなくなるのは仕方ないけど、あまりにも、だ。そして、とても冷たい、と感じた。
 
 上が法律や規則を決めて、法令、規則の執行にあたり出た住民からの苦情、問い合わせ窓口は決定権がない若手が担う。
 実質的に窓口で何を言おうが、クレーマー扱い。言い換えれば、上が決めた規則は誰が何と言おうと強制執行される。そして、そこではどんな理不尽も許される。

 交通法規に関しても、たまたま取り締まりの対象になる人とならない人がいる。取り締まりの対象になった人は運が悪く、ならなかった人は運がいい。そういう世界。

 世の中の規則なんて無数にあるから、常にあらゆる行動をチェックされているのと同じ。そして、そのうち何か一つでも逸脱したら、潜在的なターゲットにされる。さらにそれが公権力の目に留まるという偶然でしかない事象を通じて悪者扱いにされる。

 何なんだこの社会は。
 
 そもそも、無数に存在する法令や規則を100%守って生きている人間なんて皆無だ。
 私が大学時代指導を受けた法律学を教える国立大学の教授でさえ、どう見ても車通りがない場所に設置された信号は無視すると言っていた。いや、それが普通だ。そういう少し緩い行動が許されるからこそ、人間は息をして生きていけるのだ。

 規則でがんじがらめにされた世の中は非常に生きづらいし、規則だけ網の目のように張り巡らされていて、そのチェックが偶然に左右される世の中なんて生きづらくて仕方ない。
 
 どこから矢が降ってくるか分からない感じで、非常に息苦しい世の中だ。

以前はこうではなかった。

 私は、学生時代は悪いこともせず、真面目に勉強して、親や先生の言う事に黙って従い、偏差値の高い高校、大学を出て、公務員なりで長い間働いてきた。いわゆるいい子だった。

 しかし、体のコンプレックスとか転校などが原因で、いじめや嫌がらせを受けることが多く、ひどく苦労する人生になってしまった。

 しかし、内で苦労しても外の世界では何も報われない。
 そればかりか、世の中は梃子でも動かぬようにわざとらしく決定論めいたものに従って決まった方向にしか進まないものだと感じている。

 決定論や運命論は心理学の世界では、固定思考なんて言うみたいだけど、したくて固定思考してるわけじゃない。

 どうみても、どう抵抗しても、諍えないというか、こういう流れに人生全体が動くように仕向けられているみたいな陰謀論めいたものを感じる。その中で逆らうこともできずただ生きてるような感じ。

 詳しいことはこれから書こうと思うけど、どうしても自分が悪いと思えない。これまでの人生、冷静に考えて他人や環境が悪いとしか思えないようなことが多かったから、悪いことは悪いとはっきりと言って行こうと思う。

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