最下層のパラドックス

おはようございます。

こういった記事は眠れないなりに眠って、起きてから書く方がいい。

少し早い目覚めになってしまったが、伸びをして、まだ暗い空を眺めてから書くことにした。

私は今、非常に辛い状況下にある。
この一ヶ月半、私はとても多くのことを経験した。経験したというより、思い知ったという方が正しいかもしれない。

ちょうど一ヶ月前のこの時期、私はまだ都心にいて、居住支援法人と銘打つ不動産から、「気に入らないから追い出す」と言われていた。

気に入らない理由は不明だが、私がその時の福祉事務所に「不動産が、事実と全く違う事を言って手続きを進めていた」ことを確かめてからのごく2日程の話だ。

そして、それを警察に相談してから、福祉事務所の対応が代わり、結果不動産の全ての言い分を福祉事務所が看過する形で通し、その結果、住居を失うという事になった。

それからは手元に残ったお金をやりくりしながらネットカフェに泊まったり、屋外で凌いだりして事実を地元の自治体に伝えたり、都心でSOSを出していた。
そうしなければ生活すらままならなかった。

そして今現在、私は医療が10割負担で支払う術がなく受けられていない。この記事をこうして書いている今日、この日の午前5時現在でもそうなのだ。

それに追い打ちをかけるように、この一連の追い出されるまでの流れは、なんと全て合法だと弁護士から知らされた。
そして、住居を追い出されてからの苦痛というものも、精神的なものだからという理由で法に触れるものではないとのことだ。

やってきたことは全て、日の目をみることは無いのだ。

そして、その事実は受け入れなければならない。そうしなければこの先を一歩も前に進むことができなくなるからだ。

 物事は、渦中にいる境遇だからこそ分かる部分と、分からない部分が存在する。

私のような生活すらままならない渦中に未だ晒されていて、それでいて物事を考え続けて行動する人を、私はあまり知らない。

それは私の知見が狭いからでもあろう。

だが、屋外で寝たり起きたりしている人の中に、現状が考えられる程余裕がある人も稀なのだ。衣食住のすべてが危機な中で、観察して、言葉に表現して伝えることは、実際頭の良し悪しではなく、負の感情にのまれないでどこまでいられるかという問題なのだ。

私は元々感覚がズレているから、まだマシかもしれない。もしこれが、かつて「世の中という狭いパイの中で頑張ってきた人」の成れの果てというのならば、正直、精神を保っていられる自信はない。

そうしてズレた事が幸いしてまだ残っていても、世の中から不都合な存在として弾きだされた後の地面は冷たくて硬く、上を見るほどに淀んでいて、手も届かない。

その間を繋ぐ何かも、もうすっかり人の群れで錆びてしまったようだ。
かつてはそういう人たちも、私と何ら変わらない事を考えていたのかもしれない。
そう思うとゾッとする。

人生始まってまだ30年と少しだというのに、本当に、何が起きるやらわからないものだ。

さて、嘆いている暇もない。

 私には変わらず目指すところがあり、今できる事をやっていくしかないのだから。それで十分だ。

どうか、これからを生きていく若い人や、今を生きている人が、こんなところに落ちてこないように、そして一人でも多くをここから出すにはどうすれば良いのか、手を動かしながら私は地面を這いずり回るとしよう。




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