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「子どもが欲しい」という言葉への違和感

「将来子どもは欲しい?」
たまにおしゃべりしてて出てくる話題。
自分の将来のキャリアを考えるときに頭に浮かぶ言葉。
特に私は生物学的に女性であるので、タイムリミットも考える。

考えるんだけど、この言葉にめっちゃ違和感。
なんで子どものことを考えるときに、物みたいに”欲しい”という動詞を使うんだろう。

内閣府がとったアンケートの子どもの存在に関する価値観の中で、以下のような内容が載っていた。

子どもを持つことが理想と考える理由は何であるのかを聞いたところ、
「子どもがいると生活が楽しく豊かになるから」が81.6%と最も高く、50歳未満の有配偶女性のどの年齢階層でも高い。
次いで、「結婚して子どもを持つことは自然なことだから」55.6%、
「好きな人の子どもを持ちたいから」39.6%となっている。
平成16年版 少子化社会白書(全体版)
子どもの存在に関する価値観より

平成16年のアンケートなので、今ではだいぶ変わっているものもあると思うが、どれも、子どもは自分の所有物だという認識が無意識下でも多くの人にあるのではないかと感じる。

子どもはペットではない。子どもといえど、自立した1人の人間である。だけれど、親がどういう風に育てるのかによって影響を大きく与えることができる。
産んじゃえばなんとかなるって〜とかってたまに言われるけど、それって無責任すぎないか?って私は思ってしまう。
多分私は母親が返して欲しい言葉・行動をしている子どもだった。だからよりこういうこと考えるのかも。

「子どもが欲しい」「子どもを産みたい」「子どもを育てたい」
うーん、子どもを育てるのかどうかっていう前提もそもそも違うのかな?
なんか、今はまだうまく言えないけど、このもやもやが解消されないまま子どもを育てることはできないなぁって思うなって感じ。

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