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アフリカ・タンザニア体験記⑦

私は、20歳の時にアフリカのタンザニアに1カ月間滞在しました。
なぜアフリカに行こうと思ったのか?その経緯は下記の記事に綴っています。
20歳で経験した、初めてのアフリカ
前回に引き続き、タンザニア滞在中に書いていた日記の内容を、備忘録までに、原文のままここに転記していきます。
これからアフリカに行くことを検討している方や、アフリカに興味のある方に、何かしらお役に立つことが盛り込まれていたら嬉しいです。

※トップの写真は、ちょうどこの頃に現地で自分で撮影したものです。

2005年7月20日
今日からやっと仕事開始!歩いて20分くらいの近くの小学校で教室の増設を行うというので、その土台造りと壁に使うレンガ造りのお手伝いが始まった。
私は、力仕事の土台造り(foundation)を担当した。土地をロープで囲って、その端に沿って幅60センチくらいの溝を掘るところから。鍬みたいな道具を持って、初めて手作業でこんな作業にとりかかる。
土の堀り方にもコツがあって、ある程度土の固いところに水を含ませて、土を柔らかくしてから掘るのが良いとか。鍬の使い方は、地元のタンザニア人の方がはるかに上手で、スピーディで感心した。学校の校長らしき人が、いい靴やジャケットを着ているのに、あまり服も気にせず、進んで作業している姿もなんだか感心した。こんな体験は生まれて初めて。
タンザニアに来てからの新鮮な毎日はすごく楽しいけれど、同時に思うことは、こんな地道な重労働や、水だけのシャワー・水洗じゃないトイレという不便な生活も、このワークキャンプが2週間という期限付きだから楽しめるんだろうなということ。
日本に帰ったら、洗濯だって建設だって機械を使ってやってしまうし、今私が我慢していることも、「あと2週間だ」ってどこかで分かっているから、やりすごせているだけなのかもしれない。でも、ここの人はそれが毎日毎日ずっと続いていて、それしかできない。教室を1つ増やすのにたくさんの力仕事と時間を使う。ブルドーザーを知らないからだろう。でも、私は知っていて、そのことをここの人たちが知ったらどう思うんだろう。

こっちに来る前のオリエンテーションで、「開発は良いか悪いか」というトピックでディベートしたことをよく思い出す。開発することで、地元の伝統を壊すから開発を強いるべきではないという私が発言した意見に対して、相手チームの一人に、それでも便利な生活を選ぶか選ばないかは地元の人の自由で、選択肢を広げる意味で開発を促すのは良いんじゃないかと言われて、私はそれに反論できなかった。
でも、今ならわかるのは、便利な生活を一度知ってしまったら、もう後へはなかなか戻れないってこと。ネットが使えるようになれば、もう使わずにはいられない。元の生活には戻れない。そんなことをされて、アフリカの人たちは選択のチャンスを与えられたとは、受け取れないってこと。その生活を受け入れるという1つの選択肢しか残されなかったって、アフリカ人は言うだろう。結局何がいいのか、まだ私には分からない。

この日の日記を今読み返してみると、我ながら偏った意見だなと感じますが、その時はこういうことを考えていたんだなとハッとします。
「僕たちには選択肢がないんだ」そう言っていたアフリカ人の言葉を今も私は覚えていて、ちょうどその発言を聞いた背景もあって、こんな考えに至っていたのだと思います。

20歳で大学生の自分には、とても深くて難しいテーマを毎日真剣に考えていました。そんな日々を過ごしたこと自体が、今となってはとても価値あるものに感じます。

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