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アフリカ・タンザニア体験記⑭

私は、20歳の時にアフリカのタンザニアに1カ月間滞在しました。
なぜアフリカに行こうと思ったのか?その経緯は下記の記事に綴っています。
20歳で経験した、初めてのアフリカ
前回に引き続き、タンザニア滞在中に書いていた日記の内容を、備忘録までに、原文のままここに転記していきます。
これからアフリカに行くことを検討している方や、アフリカに興味のある方に、何かしらお役に立つことが盛り込まれていたら嬉しいです。

2005年8月2日
見知らぬ土地で、いくら高価なネックレスや腕時計、腰に下げている財布が盗まれるのが怖くても、絶対に盗まれない自信がある。
私の心の中から、絶対に抜き取ることのできない、貴重な体験。貴重な出会い。
これだけは、いつでも胸を張って「私のもの」と言える。これがこれからの私の強い力、原動力となっていくだろう。
この大切な経験がいつまでも私を走らせてくれるように。
いや、いつまでも走ってやる。
この今の感情を絶対に、忘れない。

今日でMarinaともお別れ。
ザンジバルへ一緒に行った、ワークキャンプの7人との別れ。
一人になってから気づく、メンバーのフレンドリーさ、Lovely smiles, welcoming hearts… YMCA(ゲストハウス)の食堂で、別のボランティアチームらしき欧米人が集まっているのを横目に、無償にさみしくなって、メンバーの顔を思い出した。

今日ザンジバルからの帰り、Marinaに「あなたは誰と一緒によくいたの?」と聞かれて、思わずYunee(日本語が堪能な韓国人)以外に誰を言おうかと考えてしまって、Marinaほどいろんな人と深く関われなかったことに自信を無くした。だけど、やっぱりこのワークキャンプ中一緒に過ごした人たちは、最高だった。私を求めてはくれなかったかもしれない。だけど、少なくとも私が求めれば120%で返してくれる人たちだった。いつも笑顔で、真剣で、私が出した疑問には必ず答えてくれた。そして、それはこれからも変わらないはず。せっかく世界中に友達ができた。確かに深い友達にはなれなかった。でも、十分繋がっていける「ツテ」にはなった。聞こえは悪いけれど、私の情報網は思いっきり広がったんだ。これを絶対に途絶えさせてはいけない。大切に、大切に。そして、必ずヨーロッパに旅行に行ったら、彼らのもとへ訪れようと思う。

さて、結局私のキャンプ後の一番の目的だったナイロビ(ケニアの首都)のスラム街を見ることや、AIDSの子供たちの集まる家に行く計画はダメになってしまった。ダルエスサラーム(タンザニアの首都)からのフライトをナイロビに変えることはできず、、
かなり落ち込んだけれど、でもそれまで本当に肩に力を入れて張りつめすぎていたから、逆に良かったのかもしれない。ナイロビまで移動したりして、また体調を崩しても仕方ないしね。。。
スラムは、まず、日本で見ることにしよう。(日本にもスラム街があるよね、と韓国人のキャンプ参加者に言われたので)日本でだってできること、まだまだたくさんある。日本の子供だって同じ。私がアフリカでした体験を日本に伝えて、私ももっと日本のの現状を知らないといけない。ナイロビと言わず、アフリカには必ずまた戻ってくるから。

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