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問題を発見する能力

先日私が主催したグループセッションで、
「解決したい問題」を扱っていた時のことです。

指名した学生参加者が、
「問題って別に何もないけど…。」
と困ったように言うのです。

彼女はふざけているのでもなく、
参加者の一員として、
真剣に問題を探そうとしているのですが、
頭の中が真っ白状態という感じです。

「何も問題がない」
一見、いいことのように、感じられますが、
本当にそうなんでしょうか?

「問題に気づいていない」
だけなのかもしれません。

「問題」がそこにあっても、
「問題」として認識しない限り、
それはないのと同じです。

「なければないにこしたことない」
「問題があるより、ない方がいい」
と思うかもしれませんが、

「問題を認識」して、解消すると、
現状よりも、よりパフォーマンスの高い、
質のいい生活になるかもしれないのに、  

「問題がない」ことにしてしまうと、
その絶好の機会を逃してしまうことになります。

今の私達の暮らしは、便利になって、
何不自由なく、生命の危機にさらされる危惧も、
少なくなっているかもしれません。
2020年の世界を席巻しているこの騒動の前までは。

否、このいわば軟禁状態を強いられていてでさえ、
上記のような発言があったのだから、
なんとも思考停止状態が、深刻です。

本来なら、
同じ時間空間を共有するワークなのですが、
政府の要請に従い、
オンライン上での発言だったのです。

このようなマインドは、
自分で考えることを放棄して、
自ら奴隷化隷属しようとするようなものです。

ちょっと強い言い方をしましたが、
かつての奴隷制度では、
為政者は自由と思考を奪うことにより、
コントロールをたやすくしていたのです。

脅かしたいのではなく、
ただ単に、ちょっとした日常の気付き、
変化を感じ取ることができたなら、
今よりももっと、
世界を主体的に能動的に、
変えることができるのではないか、
と思うのです。

人類は、問題解決の連続で、
このような文明社会を築いたともいえます。
未来を創る、
これから社会人になろうという人達が、
問題を見つけることが出来なかったら、
そこで未来は停止してしまうでしょう。
 
学校教育の弊害で、
問題解決ばかり練習させられて、
問題そのものを見つけるトレーニングは、
何一つしてこなかったからかもしれませんね。

学校から離れて、社会人になるということは、
その問題を自らみつけ、その問題に対応する能力が、
求められているともいえます。
 
既存の仕組みが、
ガラガラと変わっていく今の激動の変換期に、
ちょっと、
問題意識を高めて頂きたいなと思いました。

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