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象潟&三種への道②

2019年6月、東京は例年通り梅雨を迎えていた。
気温が上がらないのは助かるが、連日の雨で洗濯物がすっきり乾かず、空模様につられて、なんとなく欝々とした気分で毎日を過ごしていた。
そんなある日。「じゅんさい摘み」のことを思い出したのは、やはり朝のテレビ番組がきっかけだった。
朝の支度をしながら見るともなくテレビを見ていると、今年も若いレポーターがじゅんさい摘みの船の上で「危ないです!これは難しい!」などと叫んでいた。「じゅんさい…そうだじゅんさい!」、人生の目標の一つを急に思い出した私はさっそくT先生に夏の秋田への旅を打診してみることにした。

「あーじゅんさいね。うん、いいよ」、T先生はあっけないほどすんなりと「じゅんさい摘み」に賛同してくれた。2回目ということもあり「もう行ったからいい」と言われるのではと内心ひやひやしていただけにその快諾はしみじみありがたかった。
「2回目なのに付き合っていただけるんですね」と言うと、「うん、だって前に行ったとき、じゅんさい摘みに一緒に行ってくれる人を探すの大変だったから」という何ともクールな回答が返ってきた。
そう、じゅんさい自体の知名度が低い以上、じゅんさい摘みに行きたい人なんてレアもレア。よほど貴重な存在に違いない。
ところが、だ。T先生との稀なるご縁に感動している私に対して、T先生は「じゅんさいはいいけど、秋田、何もないよ?」と、これまた抜群にクールな一言を発したのだった。


誤解を防ぐために言っておくと、T先生は決して秋田県を嫌っているわけでも、馬鹿にしているわけでもない。なんといってもT先生の御母堂は秋田県能代のご出身で、秋田はT先生にとってルーツの一つなのだ。子どものころから何度も訪れ、よく知っている土地だからこその一言なわけだが、それだけにこの言葉には重みがある。
実際、秋田について調べ始めた私はすぐにこの言葉の意味を知ることになった。これまで旅行してきた土地に比べて、圧倒的に観光に関する情報が少ないのだ。「秋田 夏 観光」「秋田 夏の味覚」など、いくつかのパターンを試してみたが、いつもはあんなに饒舌なグーグル先生の口数が驚くほど少ない。
生命の恵み豊かな日本海に面し、鳥海山をはじめとした名山に恵まれ、田沢湖など伝説の残る湖があり、冬には神であるなまはげが各家を訪れて暴れるという独特な風習まである秋田県だが、情報規制でも敷かれているのかと怪しみたくなるほど観光客向けの情報がない。
そうなるとこちらも意地にならざるをえない。毎晩のようにスマホを睨みつつ、幾重にも重なる情報のベールをくぐった先で、ようやく「象潟の岩ガキ」というキーワードにたどり着いた。

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