木菟と白足袋

白足袋を履いた動物は縁起が悪い。
古来より伝わる、伝説というよりかは言い伝え…。
そこまで書いて、木菟は筆を置いた。
木菟と言っても、耳のような羽冠のある鳥ではない。れっきとした人間である。
彼は冴えない小説家。パッとしない迷作ばかりを世に送り出す、仕様のない小説家である。
しかし、本人は自分の現状に不満はないらしく、数人の物好きなファンが自作を読んでいるというだけで満足なそう。
そのため執筆はマイペース。いつ新作が出るかは常に謎。
連続して出したかと思いきや、いきなり半年の間が空いたりするのだ。
そもそも木菟という名前も本名ではない。本名を明かさないのだ。
そんな小説家の作品をどうして刷る会社があるのか?
それには深い訳があるが、話すと長い。割愛させてもらう。
彼は壁に掛けた時計を見た。昼の12時を少し回ったところだ。
机に手をついて立ち上がり、木菟は外に出た。
外気に触れると、しんとした冷えが彼を包んだ。
彼は寒さが苦手だ。端正な眉根に皺を寄せ、彼は歩き始めた。
着物に羽織という出で立ちの人間のめっきり少なくなったこの時代で、彼だけがレトロな空気を纏っている。
しばらく歩いて、彼は一軒の喫茶店に入店した。
店内にいた、色白な女性が彼を出迎える。
「いらっしゃいませ…、あら、先生。」
木菟は軽く会釈した。
「こんにちは、美子さん。」
女性の名は冬堂美子。この喫茶店「六花」の女マスターだ。
「そう言えば今日は日曜だったわね。さ、お座りになってくださいな。」
彼女に従って、木菟はカウンター席の端に座った。
「何になさいますか?」
「ココアをお願いします。」
美子はくすりと笑った。
「先生、いつもそれですわ。たまには私の淹れるコーヒーを飲んでくださっても良いでしょうに。」
「コーヒーは苦くて。飲もうと思えば飲めるのですが、私はどうも好かないのです。申し訳ない。」
木菟は困ったように笑い、頭を掻いた。
「いえいえ、私だって無理強いはしませんわ。先生には飲み物を美味しく味わって欲しいですもの。」
美子は微笑んでココアを出した。
「どうも…。」
ココアを一口啜り、満足気に笑う木菟。
「最近、大分冷え込みますからな。ここのココアで暖まるのが楽しみなんですよ。」
色白な頰をほんのりと赤く染め、彼は言った。
「ところで…。白足袋の動物について何か知りませんか?」
「あら、今度のテーマはシロタビ?」
彼は頷いた。
「ええ。お客様から聞いたりしませんか?それか白足袋と関わった経験のある方と会ったり?」
小説家木菟は、このように毎週日曜の昼下がりになると小説のヒントを探しに美子を訪ねる。
美子のいる、「喫茶・六花」を。

木菟が次に美子の元を訪ねたのは、それから4日後の事だった。
「日曜でない日にここへ来るのは新鮮ですね。日曜以外にここに来るのは私が何か書くときだけですから。」
「その割に、頼む物は変わらないのね。」
美子はココアを木菟の前に置いた。
「や、こればかりは変えられませんよ。」
彼はココアに息を吹きかけ、微笑んだ。
「それで、白足袋の話をしてくれるお客様というのは…。」
「もうすぐいらっしゃるはずですわ。」
美子が店の入り口を見遣った丁度その時、戸が開いた。
「お見えになったようですわね。」
入ってきたのは小学校高学年ほどの少年だった。
「ほう…。こんなにお若いとは。」
少年は木菟の姿を目にすると一瞬怯えを見せ、美子に目配せをした。
「大丈夫よ、先生は良い方だから。」
彼女の言葉を聞き、少年は多少びくつきながらも木菟の隣に着席した。
「美子さん、こんなお若い方まであなたの喫茶店に来ているとは思いませんでしたよ。」
「2、3年前からよく来てくれるようになったのよ。こっそり飼っている猫にミルクを分けて欲しいとかで。」
「なるほど。」
木菟は少年、弘海を見た。
目のくりくりした可愛らしい少年で、髪は焦げ茶色。角の丸い眼鏡をかけており、白い毛糸編みの手袋をつけている。
「弘海君。早速ですが、白足袋の話を聞かせてくれますか?」
木菟が尋ねると、弘海は戸惑ったように美子を見上げた。
美子は優しく微笑み、頷いた。
「もし話し辛ければ、無理しなくても構いませんよ。」
木菟も声をかけてやると、少年は初めて彼の目を見た。
そして、意を決したように口を開いた。

前に黒猫を拾った事があるんだ。子猫じゃないけど、頭から尻尾の先まで真っ黒なやつ。
見つけた時は凄く弱ってて、ガリガリに痩せてた。
可哀想になって連れて帰ったんだけど、お父さんお母さんは飼っちゃ駄目だって。
でも、どうしても諦めきれなくて、友達の浩太に協力してもらってこっそり飼う事にしたんだ。
場所は浩太ん家の倉庫。使ってないからバレないってことで。
僕は毎日そこに通って、猫の世話をしたんだ。クロって名前もつけた。
クロはどんどん元気になって、僕らと仲良くなった。クロと遊んでるのはほんとに楽しかったんだけど…。
でも、そのせいで油断しちゃったのかも。見つかっちゃったんだよ、浩太のお父さんに。
浩太のお父さんは動物が嫌いで、中でも猫が大嫌いだったらしいんだ。
僕らの目の前で、クロを蹴ったりぶったりしてさ。僕と浩太は慌ててクロを抱いて逃げたんだけど、遅かった。
クロ、僕らの手の中で死んじゃった。
あと、その時気付いたんだけど、クロはメスだった。お腹が大きかったんだ。赤ちゃんがいたんだよ。
僕らは泣いて謝りながらクロを埋めた。僕らが見つからなければこんな事にならなかったのにって。
それからしばらくして、今度は浩太が子猫を見つけたんだ。クロのお墓の前に座ってる子猫。
その猫、クロにそっくりで。近づくと僕らに擦り寄って来たんだ。
一瞬クロの子供かと思ったけど、クロは子供を産む前に死んじゃったし違うと思った。
それに、今度の猫はクロと違って前脚と後ろ足の先が靴下を履いたみたいに真っ白だったんだよ。
僕らは今度こそお互いの親に見つからないようにしてその猫を飼い始めた。
今度は駄菓子屋の優しいおばあちゃんにも協力してもらったんだ。
子猫を見せた時、おばあちゃんは言った。「ああ、この子はシロタビを履いてるのね」って。
シロタビって何、って聞いたら「シロタビを履いた動物は縁起が悪いって、私らみたいな古い者は言うんだよ」って言った。でも、すぐに「きっとこの子はそんなことないから大丈夫よ」って言ってくれた。
それを聞いて、浩太が
「シロタビで縁起が悪いなら、名前はクロタビにしようぜ」
って。
僕も賛成して、おばあちゃんにクロタビを預けて可愛がってた。
でも、しばらく経ったある日、下校中におばあちゃんに呼び止められたんだ。クロタビがおかしいって。
浩太と一緒に急いで行ってみたけど、特におかしい所はない。
でも、よく見たら分かった。
クロタビの右後ろ足の白足袋模様がなくなってたんだ。
最初は黒くなってると思ったんだけど、よく見たら違って。
赤茶色っていうか…。光に透かすと真っ赤になるんだ。
これじゃアカタビだね、ってみんなで言ってたけど、猫の毛が生え変わる事なんてよくあるだろうと思ってほっといた。
浩太のお父さんが事故に遭って、右脚を切る事になった事を聞いたのはその次の日の事だった。
なんでも、バイクで家に帰る途中に突然何かがヘルメットの透明部分に張り付いて目隠しをしたらしい。
それで電柱にぶつかって、倒れたバイクの車輪に足を巻き込まれた…って事らしいんだ。
浩太のお父さんは頭を強く打って、病院のベッドに寝かされてる時にはずっとうわ言を言ってたんだって。
凄く怯えた様子で、「ごめんなさい、ごめんなさい…」って。
あと、浩太のお父さんのヘルメットには酷い引っ掻き傷と、赤茶色の毛が何本か付いてたんだって。

話し終わると、弘海は息を深くついた。
「よく話してくれましたね。思い出すのも辛いでしょうに。」
「ううん、別に。」
弘海はぴょんと椅子から飛び降り、おもむろに店の戸を開けた。
「入って、浩太。」
弘海が声をかけると、黒猫を抱いた1人の少年が店内に入ってきた。浩太だ。
「これがクロタビだよ。」
浩太が猫を掲げるように持つ。
それに反応するようにして、にゃーん、と猫が鳴いた。
「僕達、今は3人でのんびり暮らしてるから。」
「そう。今は幸せなんだ。」
弘海と浩太は顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「3人でって…。お父様お母様は?」
美子が驚いたように尋ねるが、彼等は答えず笑うばかりだった。
「これで僕らの話は終わり。」
「それじゃ、さよなら。」
2人の少年は笑いながら、店を飛び出していった。
「あっ…。…行ってしまいましたわね。」
美子は、弘海に出したきり手のつけられていないマグカップを下げた。
「弘海君の作り話だったのかしら?」
「いえ、恐らく話は本当でしょう」
木菟はすっかり冷めたココアを啜った。
「あの黒猫は、話に出てきたクロタビでしょう。」
「え、でも前身真っ黒でしたわ。」
美子が言うと、木菟は微笑んだ。
「美子さんの位置からだとそう見えたかもしれませんが…。私の位置からだと丁度日の光が差し込んで、浩太君が猫を掲げた時に、脚の先が赤いのが見えたのです。」
美子が息を呑んだ。
「それじゃ、残りのシロタビも?」
「恐らくは。弘海君と浩太君の親御さんがご無事である事を祈るばかりです。」
美子の驚く様子をしばらく愉しそうに見てから、木菟は席を立った。
「…さて。私はそろそろ失礼します。折角の執筆材料ですから、温かいうちに書いてしまわないと。」
ココア代をカウンターに置き、木菟は店を出た。

彼は帰宅の道中にある駄菓子屋を訪ね、飴玉を幾つか買った。
「お若いのに着物なんて、珍しいね。」
店番の老婆は小銭を受け取りながら感心したように言った。
「よく言われます。」
木菟は飴の袋を持って微笑んだ。
「ところで、弘海君と浩太君という男の子を知りませんか?」
老婆の表情が明らかに変わった。
「どうしてあの子らの事を?」
「このお店を教えてくれたのが弘海君なのです。」
そうかい、と答えたきり、老婆はしばらく黙った。
「あの子らはね、良い子だったよ。拾った子猫を助けたいって、うちに連れてきてね。だから私も協力したんだけどね…。ある時猫を連れたまま、ふいっといなくなっちゃったんだよ。」
老婆は溜息をついた。
「白足袋を履いた子猫だったからね…。私が止めれば良かったのかもしれないと思うとやりきれなくてね…。」
肩を落とす老婆に、木菟は優しく声をかけた。
「嫌な話題を出してすみませんでした。しかし、彼等がいなくなったのは断じてあなたの所為ではありません。今日はそれを言いに来たんです。」
そして、彼は帰路についた。
吹き始めた夜風の中に、子供の笑い声と猫の鳴き声を聞いた気がしたが、それこそ自然の為す悪戯だろう。

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