認められることを諦める
ADHDのお話から少し外れます。
私は、承認欲求のつよい人間だと思います。
承認欲求ってネガティブな意味合いが込められることが多い気がしますが、「承認欲求つよくて何がわるいねん。」くらいに思っていることは、一旦横におきます。
中でも、母から認めてもらえないことが、私のアイデンティティに大きく影響しているように感じます。
生き方、友人関係、話し方、考え方。
いろんなことが、少しずつ癪に触るんだと思います。母にとっては妹との相性の方が良さそうなので、小さい頃から比べられてきたことも悲しみのひとつとなっています。
できない自分を許してほしい。
長所を認めてほしい。
生き方を否定しないでほしい。
こんな風に思うのに…
もういい大人だから。
こんなことを思うのは恥ずべきことだ。
自分がしっかりしてないから悪いんだ。
自分が悪いんだ。
と「自分が悪い」スイッチを押して、納得した気になる…
でも、消化されない感情が時折猛烈に顔を出したがってくる。
もうずっとそんな繰り返しを、小さな頃から続けています。
最近になってようやく諦めがついてきました。
親も別の人格で、必ずしも子どもと相性が良いわけではない。
親、特に母の言葉は私には影響力が強くて、誰に言われるよりも、心を深くえぐられます。
母に認められる日は、この先もきっとやってはこないのだと思います。
認めてくれる人は、最初から認めてくれる。
というより「認める」なんて言葉を、敢えて互いに持ち出すこともない。
これが「相性」というものじゃないかな。
そして、母からみた世界もまた私とは違うもので、理解できない行動ばかりする私と必死に格闘しながら一生懸命に育て上げてくれたんだと思うんです。
きっとこの先も、この問題は胸を燻り続けるとは思うけど…
自分で自分に花丸💮をつけられるように。
きっとこれが全て。自信のなさを誰かのせいにしてはいけない。
未来の悩める私へ
母への想いはきっとこの先も、心に残り続けていることと思います。
でも、親と性格が合わないこともある。
母もひとりの女性だから。
もう誰かに肯定されることを諦めて、あなたはあなたを生き抜いてください。
今日この日の私は、未来のあなたを誰よりも応援しています。誰よりも愛しています。
苦しくなったら、この日記を読み返してね。
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胸の奥のそのまた奥の奥にしまい込んだ想いを、
ここに置いておきます。
しまうのではなく、置いておく。
いつでも何回でも眺めて、自分の心と切り離した感情として側に置けたらと思います。
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