思い出の指輪

「お父さん、これを見て」
彼女は紅潮した顔で私に左手の薬指を見せた。そこには指輪が光っていた。
私は驚きを隠せなかった。そんな様子は全くなかったからである。しかもその指輪には確かに見覚えがあった。

「この指輪どう?突然で驚いた?娘がいきなりこんなことしたら驚くよね」

彼女、つまり私の娘と会うのはひさしぶりだった。娘は大学を卒業後、商社に入社し、会う機会は激減した。しかし電話では頻繁に連絡をしていたし、1人暮らしの私の心配をしてくれていた。
私の妻、彼女の母親は娘が幼い頃に家を出てしまった。理由は他に好きな男性ができたからだ。浮気性だったため、驚きはあまりなく、離婚はスムーズに進んだ。娘は多感な時期であったため、真の理由は伝えなかった。

それから苦労は多いながらも何とかやってきた。娘は思うところはあったようであるが、中学高校と勉強に励み、大学に合格した後も、私に気を使いアルバイトをして学費を工面していた。いわばできた娘だ。

大学を卒業する頃、酔った私は妻が出て行った理由を娘に話した。今まで心に秘めていた気持ちを吐き出すように。出会った頃のこと、プロポーズした時のこと、全財産をはたいて結婚指輪を買ったこと・・・最後に私は泣いていた。娘も一緒に泣いていた。あれから3年が経った。

昨日急に連絡が来た。
「お父さんに話したいことがあるの。そして見せたいものも」
娘も年頃である。紹介したい人がいる、とかそういったものであろうと予想していた。

娘は薬指の指輪を私にまた見せた。その指輪は間違いなく私が妻に贈ったものであった。忘れることなどできない、私が若い頃、全財産で買った指輪だ。当時の彼女、つまり離婚した妻、娘にとっては母親にあたる女性に贈るために。

声が出ない私に娘は言った。

「お父さんお母さんのことを本当に好きだったんだよね。でも出て行ってしまった。ひどい裏切りにあって。私はお父さんのことが大好きだから、お母さんのことが許せなかった。お母さんなんて呼びたくないけど、母親なのは間違いないから。それで私調べたの、お母さんの行方を。案外簡単に見つかった。」

私はまだ声が出ない。

「それで会いに行ったの。あなた誰?って顔をされた。お父さんと私を捨てて出っていて、その相手とも終わってた。それを見て私は許せなかったんだよね。だから」

その続きを私は聞きたくなかったが、娘は構わず続けた。

「だから、置いてあった包丁で刺したの。お父さんと私の苦しみを知れって思って。あっという間だった。倒れたお母さんを見たら指輪をしてたんだよね。もしかしたらお父さんが贈った指輪じゃないかと思って取り返したんだ。外れなかったから指ごと切ってきた」

娘が見せた血に染まった妻の薬指には確かに私の贈った指輪が光っていた。妻がまだその指輪をしていたことが何を意味するのか、私にはそんなことはどうでもよかった。

娘は穏やかに微笑んでいる。
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