見出し画像

映画と父と思い出と

小学校2年生の時に初めて映画を見に行った。配信なんて空想科学、ビデオさえ中々手が届かなかった時代である。父に連れられていった映画は宇宙戦艦ヤマトだった。外の音が丸聞こえの音響の悪い映画館は満員で、指定席なんてなかったものだから立ち見の人も結構いた。お世辞にも綺麗な建物とは言えなかったが、少年にとっては夢の入り口だった。父は映画好きで、それからも主にSF映画によく連れていってくれた。スターウォーズ、スタートレック、スーパーマン、今でも鮮明に覚えている。

時は経ち高校生となった私は、1人で積極的に映画を見るようになった。アルバイト代を全て映画鑑賞に費やし、夏休みには都内にある当時できたばかりのミニシアターなどにも電車を乗り継いで通った。年間100本以上を映画館で鑑賞し、一端の映画通気取りである。将来の夢はもちろん映画監督であった。

ここで記憶の隅っこにある映画がある。タイトルは「Black Blazer」。
突如地球に飛来した宇宙人と、偶然それを見つけた高校生の間で起こるバトルアクション映画である。大人たちは宇宙人に洗脳されており、宇宙人飛来の際には洞穴で遊んでいた高校生3人だけが洗脳を免れている、というストーリーだ。アメリカのZ級映画にありそうな内容である。おそらく余程のマニアであってもこの映画の存在は知らないであろう。


実はこれは映画研究部に属していた私が原案・脚本を書いたものである。父に連れられて見に行ったSF映画が土台になっていた。当時学校の教員をしていた父から強引にビデオカメラを借り、製作をおこなった作品である。否、正しくはおこなっていない。映画研究部の仲間で盛り上がったのは良いが、予算が無く進むに進めなかったのである。結構な労力をかけて脚本を練り上げただけに、予算の問題で頓挫したことに悔しい思いをしたのを覚えている。今思えば映画製作のイロハも知らなかったのだから、出来なくて当然であるが。

それからしばらくして父にカメラを返しに行った。父は「映画はどうなったんだ」と私に聞いた。「お金がなくてできなかったよ。俺たち何にもわかってなかった」と答えた。すると父は笑いながらカメラを私に持たせ、「これをあげるからこのできる範囲で何か撮ってみれば」と五千円を握らせてくれた。

思わぬ申し出に私は驚いた。仲の良い親友にだけ声をかけ、2人で撮影をすることにした。「俺たちには何もない、だからあるものを使おう」という友人の申し出に従い、当時住んでいた家から大分離れたところにある綺麗な海を撮りに行くことにした。ビデオテープを買い、ロケ地まで電車移動したらもう予算は尽きる。ビデオテープの時間もバッテリーの駆動時間も限られている。ストーリーとしては、海を見に行ったことのない男が海を初めて見に行く、というドキュメンタリーであった。

海の近くに着くと監督兼カメラマンである私がカメラを回す。親友は海を初めて見る男を演じる。ドキュメンタリーだから演技指導はなし。駅から海までワンショット、と書くと聞こえは良いがカメラワークや編集なんて知らないんだからこうするしかない。海について親友は「ついたぁ〜!」と万歳をしながら叫んだ。「お前それじゃイカ天のたまだよ」と当時流行っていたバンドの名前を私が言い爆笑で終わった。全て録音されており、結構音声も聞き取れるレベルであった。作品をその場で確認することもなく、笑いながら帰路についた。

家に帰ってから作品を父に見せると「これじゃ海水浴の記念撮影だな」ともっともなことを言われ大いに笑った。夏の思い出になったのは間違いない。今もあのビデオはどこかにあるのだろうか。

それから数十年が経ち、映画の道に進まなかった私は普通の勤め人になった。息子も生まれ、今は私が息子を映画に連れて行く立場だ。息子が観たがる映画はアベンジャーズやスターウォーズなど、私の父に似てSFが多い。先日ゴジラ-1.0を息子と見に行った。鑑賞後息子は「この映画はおじいちゃんにも見せてあげたい。面白いから」と私に言った。

息子にとってのおじいちゃん、つまり私の父は15年間に脳梗塞を患い、体が不自由である。あまり外には出ようとしない。たまには外出でもと思っていたが、男同士だと色々考えてしまう部分もある。そんな矢先の息子の言葉であった。そうだ、自分と父には映画があったじゃないか。息子が思い出させてくれた。父親と随分映画を見に行ってないな。今度の休みにでも父、私、息子の3人でゴジラ-1.0を見に行こうかと思う。父の好きなSFだからきっと喜んでくれるだろう。今の最新特撮技術にあまりびっくりしなければ良いが。

#映画にまつわる思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?