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職業訓練校木工工芸科という所(3)

五月前半の実技訓練の内容は、先月に引き続いて鉋(かんな)である。およそ先月の大半の時間を費やして調子を整えた鉋を用い、削って削って削りまくることになる。
かつて鉋は三丁用意されたらしい、即ち荒(あら)仕上げ用、中(なか)仕上げ用、仕上げ用。しかし私たちにあてがわれた工具箱の中には荒仕上げ用鉋というのが見あたらない。これはどうしたことか。


荒仕上げ用とは本来「大鋸目(おがめ)」と呼ばれるノコギリで挽いた直後の荒い表面を整えるものだそうで、大鋸(おが)とはその名の通りでっかいノコギリのことをいう。民俗博物館あたりに行けば、巨大なギザギザが置いてあるかも知れない。だが今日日こんなもの使って製材している暇人などはいやしない。
現在、製材は機械を使っておこなわれている。人がノコギリをひいた場合とは違ってブレが少ないので切断面は十分中仕上げ鉋をかけられる。荒仕上げの出る幕がないのである。さらに言えば世の中には自動鉋盤とか超仕上げ鉋盤などという機械があり、これを使うとなまじ素人が手で鉋をかけたよりも綺麗に仕上がってしまう。実際にいくつかの工房の人に問うてみると、人が鉋をかける機会というのは減っており、サンダーで仕上げて塗装を塗ることが多いそうだ。
それでもおじいちゃん講師たちが言うには、
「十分に鉋の調子が整い、鉋をかける人間の腕が確かであれば、手鉋で仕上げられた表面は、機械とは比べられぬほど美しい。まず光沢があり、何より仕上がりに品がでる」
この言葉に勇気づけられ、私は二丁の鉋を振るい続けたのだが、ここで二丁の鉋の性質の違いについて述べておこう。
前回私は、鉋の台の面は、台頭、刃口、台尻の三つのラインを残して薄く削ってしまうと書いたが、これは中仕上げ鉋についての記述である。三つのラインで支持することによって、材を平に削り出すことができる。
これに対して仕上げ鉋は台頭まで削り落としてしまう。即ち刃口、台尻の二線で支持する。この場合、鉋は材の表面に湾曲部があれば、それに沿って削ることになる。仕上げ鉋は平面を出すためのものではない。
この二丁でもって私達はいくつかの種の木材を削らせてもらった。無垢材というのはモノによっては高価である。これを削れなくなるところまで鉋屑にしてしまうわけだから心して削らねばならない。
始めに削ったのはスプルースと呼ばれる北米産の針葉樹である。これは程々に柔らかく筋のまっすぐ通ったいかにも初心者向きの木材であり、ひとまずこの材で平面がだせるようになったところで次のもうちょっと難しい材をあてがわれた。
どのような材が難しいかといえばやはり硬い木だろうと思えるし実際難しいのだが、意外にもホントに削りにくいのは軟材である。
たとえばカバザクラなどは結構硬く、始めはいかにも刃が立ちがたいように思われた。削れはしてもその複雑な杢理(もくり)のために、まるで逆目が止まらない。しかし、刃をしっかり研ぎ、裏刃(うらば)せめ、極力薄い鉋屑を出そうと試行錯誤してみれば、どうやら美しい表面に仕上がるようだ。
これに対してラワンのごとき材は、木目は素直に見えるくせに、逆目を止めることが非常に難しい。さらに柔らかい桐に至っては、どのように工夫したところで逆目は止まらず桐箪笥職人の苦労が偲ばれた。実際は、あまりに柔らかい木材を削ろうとするならば、切れ刃を寝かせる必要があるそうだ。しかし、これには鉋台を改造する必要が出てくるため、今の私には難しいだろう。逆に、硬材を削るときには切れ刃の角度を大きくとる必要があるらしく、その最たるものは台鉋である。硬い鉋台を削る台鉋は刃が直立してしまっている。
これら、様々な角材を削ったあとは、まな板のような材を削ったり、丸棒を削り出したり、指定寸法に削る練習をしたりしたが、些末的になるので記さないでおこう。ただし、いくつかの用語の説明はしておきたい。
木材には鉋を綺麗にかけることができる方向があり、その方向を間違うと、表面に逆目(さかめ)が立つ。これは表面があちこちでむしれたように毛羽立ってしまうことだが、材木の年輪を見ればなんとなく理解できる。
ところが、年輪からのみ逆目、順目(じゅんめ或いは、ならいめ)が決まるわけでもないのである。目にはっきりと見える年輪などとは別に、木には繊維組織のならんだ方向があるらしく、事実、柾目板を削っていても、綺麗に仕上がる方向と荒れる方向ある。
この、木のもっている繊維組織の構成は杢理と呼ばれている。たとえばカバザクラなどは場所によって非常に入り組んだ杢理をもっており、どの方向から鉋をかけたとしてもあちらこちらで逆目が立ってしまう。
どうしても逆目方向に削らねばならないときのために、近世以降の鉋には裏刃が取り付けられている。裏刃がつくと何故逆目が抑えられるのかについては文章では表現し難いのでここでは記さない。とにかく、逆目がしぶとく感じた場合は裏刃を切れ刃の端に迫るほどに押し込んでしまう。一般には”裏刃をせめる(攻める?)”と表現している。
長くなってしまった。今号はここまで。

あとがき

現在、訓練校の午前中のカリキュラムのほとんどは教室での講義なのだが、その中には生産工学などといういかめしい名前の講義もあったりする。教科書をめくると「生産とは…」、「生産の三要素」、など書かれており、読むと睡魔に襲われる。
この講義では、学校周辺での木工業や林業の概況、そして近隣の森の現状などを教えてもらった。要は厳しいということだったが。
ずいぶん前から日本の林業は振るわない。原因は複合的なものに見える。なんとなくそれっぽい理由が複数積み重なってそうなっているのだと思うが、とにかく国産材(ここでは杉檜といった針葉樹)が売れない。するとどうなるかというと、森が元気になるのかといえばこれは荒れるらしい。もともと針葉樹の単相林は、日本の自然の植生ではないからだ。本来日本列島は、広葉樹林帯なんだそうだ。
人の手によって成立した針葉樹林は人の手が入らなくなると荒れる。荒れた針葉樹林というのはその中をほっつき歩ってみれば分かるのだが、あまり愉快な気分にはならず、ときに不気味を感じる。実は日本の森というのはかなりの部分がコレであり少なくとも私が単車で走ってみた青森から近畿まではそうであった。ほとんど信じられないような山奥まで人の手が入っている。
私はうすうす知り始めていたのだが、日本に残っている原生林というのは、実はとても少ないのだ。
私がその原生林なんぞの写真を撮ることに興味を持ってバイクを走らせていたある日のことになる。私は怒りを覚えていた。
「なんでこんな僻地の山の中にまでこんなに立派な道路が伸びているんだ。いったい誰が使うというんだ・・・」
私は気持ちよくバイクを走らせながらこんなことを考えて、そして道に迷っていた。当時私は中学校の社会科の地図帳を見ながら旅をしていたのである。
国道を探して彷徨っているうちに逢魔が時となりつつあった。岐阜のあたりだったと思うがはよく憶えていない。人跡未踏というわけでもなかった。湖を見つけたと思ったが、よく見ればそれは大きめの溜め池というべきところで、どうやら池の底から砂だか砂利だかをさらっているようであった。
池には大きな水門のようなものがあったと記憶している。対岸には深緑の中に巨大な鉄の塊のような構造物が林立しており、旧ソ連の秘密基地を想像させた。鉄さびを浮かび上がらせたようなその構造物に似た光景を、いつか東京湾岸のどこかで見たと思った。
そのいくらかシュールな光景には、夕暮れ時になるとオレンジ色の光の明滅が加わり、一見して幻想的といえた。私はこの水辺をこの日の仮の宿りと定め、テントの敷設にかかった。
しかし私はこの夜、あやうく水没しかけたのである。
カロリーメイトをかじりながら水面をながめていると、数羽の水鳥があてどもなく遊弋しているのが見えた。お互いにコミュニケーションを取るわけでもなくそれぞれ一方的に鳴いている。なにゆえ、ああも鳴きまくるのかと私は観察しつつ思索したが、そのうちアホらしくなってテントに入ってしまった。
暑気は夜になっても抜けることがなくテントの中は蒸し風呂のようであった。夜半をはるかに過ぎ、ようやくうつらうつらし始めた時、件の水鳥のガアガアという鳴き声を聞いた気がした。・・・いや変だ、
「近すぎる!」
一瞬にして脳は覚醒し私は寝袋から体を起こした。暗闇をにらみつつ耳を澄ませば、ぴちゃぴちゃと水面が岸辺をたたく音が足下から聞こえる。
「なんだ?」
転げるようにテントの入り口を跳ね上げると、目の前には水際が迫っていた。そこからつづく漆黒の水面の広がりは、遠くに鉄の塊の構造物を映している。私はその光景にあ然としたが、寸刻を待たず冷静な判断力を取り戻した。
「ここは沈むのではないか?」
水鳥はすでに離れたところを泳いでいる。
私はこのとき、富士川のほとりで水鳥の羽音にたまげて潰走してしまった平維盛の軍勢を思い出していたかも知れない。しかし私に迫っていた危機は現実である。どうやらこの溜め池は、時間によっては水位が上昇するようであった。夜中の撤収作業は憂鬱で、再度道路っぱたにテントを設営したもののもう眠ることはできなかった。

私は夜明けと共に西に向かって走り出した。走りながら私は、自然の威力の前に人間なんぞはちっぽけだなぁとかズレた感慨に耽ったが、これは少々自分を買いかぶりすぎている。大自然にしたところで、もう少し人を選んで畏怖させる。


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