飴ちゃんの話
特養のヘルパーさんから、母が飴やゼリーを喜んで食べているという話を聞いたので、いろんな味の飴やゼリーを買い込んで持って行った。ヘルパーさんに預けておくと、おやつの時間に適宜出してくれるのだ。当時は日持ちのする食品なら持ち込み可というルールだった。新型コロナ以前の話である。
母が亡くなった翌朝、夫と駆けつけて、母と対面した。看取りの期間中、母がいた部屋は本人と家族だけの非常に静謐な空間だったのに、亡くなったとたんに、静かにではあるけれど、人がたくさん出入りして慌ただしい雰囲気になった。その日居合わせた職員の方々はもちろん、その時間シフトに入っていないヘルパーさんが何人も挨拶に来てくれた。わたしも挨拶するのがはじめてという方もいて、当たり前のことながらあらためて、たくさんの方に世話になっていたのだなと思った。
諸手続きの説明を受けたり、母に化粧をしてもらうのを見守ったり……その合間、さしものわたしも勝手に涙が出てくるのをどうするわけにもいかなかった。ぼろぼろ汚い顔で泣いていたら、開けっ放しのドアをノックして、またヘルパーさんが入って来た。若い男の人だった。今度は何の手続きだろうと思ったら、彼は手に持った四角い籠をわたしに見せた。籠には袋入りの飴がぎっしり詰まっている。
「あのー、これね、**さんのおやつの飴ちゃんが残ってるんですけどー。どうしましょう。入所者の皆さんにお配りしてもよろしいですかね」
まさかここで飴ちゃんについて確認されるとは思っていなかったので、は?と彼の顔を見上げてしまったが、彼は大真面目だった。そうか一件一件片付けていかないと業務に支障が出るのだなと思い、はい、どうぞ、そうして下さいと答えた。彼が恭しく頭を下げて退出していった後、わたしと夫は顔を見合わせた。今目の前で起きたできごとを反芻していたら、二人ともじわじわ可笑しくなってきて、タオルでぐじゃぐじゃの顔を拭きながら笑ってしまった。今、このタイミングでそれ、聞く?
どんな時でもこんな風に笑えるのだなと思った。人間が何かを一生懸命真面目にやっていると、偶然笑いが発生することがあるのだなと。それは何度思い返してもちっとも嫌にならない、純粋な可笑しさだった。わたしの生きる力を強めてくれる笑いだった。
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