〈目薬〉のありがたさ

ケン・ハラクマさんの『ヨガを伝える――すべての人によりよく生きる知恵を届ける』*という本を読んだ。本の中で一番心に残ったのは、〈日薬〉と〈目薬〉の話だった。どういう話だったか、わたしのことばでここにメモを残してみる。
〈日薬〉はいわゆる「日にち薬」のこと。何事もすぐには解決しないけれど、何とかしようとしているうちに何とかなるということ。
一方の〈目薬〉は、点眼薬のことではない。指導者が『あなたの苦しい姿は、私がこの目でしかと見ています』ということ。今までたくさんの経験をしてきた先達が、(色んなことがあるけれど、大丈夫、心配しないで)と見守ってくれることだという。
指導者、先達の見守りがどれほどありがたいか、今までも、今も、まさに自分も体験しているだけに、そうだ、〈目薬〉って本当にありがたいよな、としみじみ感じ入ってしまった。

もし〈目薬〉となる心強い先達がいなかったとしたら――未来の自分が〈目薬〉になってもいいとケンさんは言う。未来の自分になって、今問題を抱えている自分に向かって「あなたが一生懸命なことはちゃんとわかっているよ」と言ってあげてもいい、と。そうか、それもいいな、そんな風に自分に言える心のゆとりがあるといいなとも思った。

〈トラウマ・センシティブ・ヨーガの教師には、生徒たちに、「自分たちは見守られているのだ」「力強い人たちが自分たちの健康と安寧のために付き添い、心を砕いてくれているのだ」ということを示すような言葉の使い方をしてもらいたい。いまだかつて誰にも、個人的な空間を侵されることなく、配慮してもらったり、心に掛けてもらったりした経験のない生徒たちにとって、これは矯正の経験なのである。それはまた、教師と一人ひとりの生徒との、安心感のある、安定的で予測可能な、そして健全な人間関係をはぐくむものとなる。〉**

「侵されることなく見守られる安心感」というのを、この年齢になってようやく実感できるようになってきた。

本の中で、ケンさんは
〈体力は劣るかもしれませんが、年齢を重ねていけばいくほどマイペースを極めることができて、ヨガが数倍楽しくなります。無理できない状況になってからのヨガはまた一段と楽しいものです。〉***
とも書いていた。
ヨガも太極拳もこれからが楽しみかもしれない。

*『ヨガを伝える――すべての人によりよく生きる知恵を届ける』ケン・ハラクマ著 春秋社(二〇一七年刊)
**『トラウマをヨーガで克服する』 デイヴィッド・エマーソン、エリザベス・ホッパー著 紀伊國屋書店(二〇一一年刊)
***  *に同じ



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