追放されたこども

わたしの身体の中に小さい女の子がいる。その子はわたしが本当にしたいことが何か知っている。これが欲しい、これをやってみたい、こっちに行きたい。彼女は瞬間瞬間にインスピレーションを与えてくれる。でもわたしはいつもいつも彼女の希望を叶えてあげられなかった。買い物に優先順位があったり、仕事帰りで疲れていたり、時間に追われていたりで。即時に対応してあげないと、その子はすぐ顔色を曇らせて、小さく萎縮して、身体の奥の見えづらいところに隠れてしまう。
インナーチャイルドということばも聞いたことはあったけれど、自分とは関係ないと思っていた。そういうのがいるのは、もっと心のきれいな人だけで、わたしのように歪な人間の中にはいないと思っていた。でも存在を訴え続けていたのだ。それも相当以前から。原因不明の痛みが身体のあちこちを巡ることも、他人から身体を触られるのが苦痛なことも、彼女が苦しんでいるサインだと考えれば腑に落ちる。
ホ・オポノポノでは誰の中にもウニヒピリというこどもがいるという。
また、内的家族システム療法という治療法では、人の中にはいくつもの人格=精神システムがあるのだという。

一例を挙げよう。私たちは誰にでも、子供っぽいおどけた部分がある。だが虐待を受けると、こうした部分は最も大きく傷つき、虐待による苦痛や恐怖、裏切りを背負わされ、凍りつく。この重荷のせいで、そうした部分は有害な存在、すなわち、どのような犠牲を払ってでも否認しなければならない部分になる。そうした部分は、内側に閉じ込められてしまうので、IFSでは「追放者」(exile)と呼ばれる。(464ページ)

ベッセル・ヴァン・デア・コーク著『身体はトラウマを記録する』(2016年/紀伊國屋書店)より

シュウォーツの言葉を借りれば、「それらは通例あなたの中の最も繊細で、創造的で、親密さを愛し、快活で、茶目っ気に富んだ無垢な部分だ。傷を負ったうえに追放されて、彼らは二重の痛手に苦しんでいる――もともとの傷にあなたの拒絶という傷が付け加えられるからだ」。(479ページ)

同上




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