太極拳――痛みがくれた恩恵

太極拳の練習中、頭の中では動きの要所要所で先生の指導の声が聞こえたり、自分でもこの部分はここを気を付けて動きたいという考えが次々と浮かぶ。それが身体の隅々にまで届き、折り返し身体のさまざまな部分の感覚が頭に返ってくる。それが、動きだしたら終わるまでどの部分も一度も止まらない流れの中で、目まぐるしく続く。身体の動きと、それを感じ続ける頭と、呼吸と、それだけで身体の中がいっぱいになる。他のことは何も考えられない。それが本当に気持ちいい。

準備体操を十分して、集中して動きだすと、もうひとつの自分の身体、気の人体みたいなものが物理的な身体の中に重なって存在している感じがする。チューブマンみたいなそれが、手を実にして前に押し出せば手の先までふくらみ、虚にして引けばひゅっとしぼんで体幹の方へ戻ってくる、身体の前で大きなボールを抱えればそのボールが気の塊みたいに感じられる。何だか自分にもう一人の自分が重なって二人で遊んでいるみたいだ。

そして、演舞の動きが武術の型から出来ているのだとすれば、わたしのすぐ前、手を伸ばせばすぐ届く距離に誰かがいる筈。相手を思い描いて、その誰かを押したり引いたり、ぐるぐる回して倒したりしていると思いながら動く。人との接触が怖いので推手には抵抗があるが、相手を想像しながらの套路にはトリガーがない。身体を使ったコミュニケーションのイメージトレーニングのようで、これも面白い。

諸般の事情で教室は折々休んでいるが、太極拳はずっと大好きだし、毎日やっても飽きない。身体を動かすことがひたすら苦手だった自分にこんな楽しみができるとは思ってもみなかった。これも痛みがくれた恩恵の一つかもしれない。

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