鎌倉彫の鏡台(2)

母はしょっちゅう部屋の模様替えをした。箪笥はここじゃない、机はこの向きじゃないとあちらこちらに動かし続ける人だった。狭い団地の一室、何をどこに置いても窮屈なことに変わりはなかったのだが、いろいろ思うに任せない母にとっては一種の気晴らしだった。重い箪笥を動かすのも母はひとりでやった。父には一切頼まなかった。頼んでもやってくれないことがわかっていたからだ。わたしは手伝わされたが、母と一緒に何かすると結局は当たり散らされるので、嫌で仕方なく、嫌々やるのでなお怒られた。
母が部屋を真っ白にしたいと言い出した。マリリン・モンローは白い家具が好きで、家の中は壁から何から全部真っ白なんだって。アメリカの映画に出て来るみたいな白い部屋にしたい。テレビかラジオでそんな話を耳にしたのだろうか、母は何度もわたしに熱弁をふるった。わたしは賛成も反対もせず黙って聞いていたが、ある日学校から帰宅したら、鏡台が真っ白になっていた。母がアサヒペンのペンキを買ってきて白く塗装してしまったのだ。養生もしないで塗ったので鏡のあちこちに白い飛沫が飛び、折角の鎌倉彫も、刷毛の抜け毛もろともべたべたに塗りつぶされていた。こどもごころにもさすがにこの行為は常軌を逸しているのではないかと思った。

祖父は母を虐待する人だった。きょうだいは六人いたが、何かときつく当たられたのは長女である母だったという。怒ったら怖かった、裁ちばさみを投げつけられた時は死ぬかと思った、と母から聞いた。そんないきさつと、祖父が母にだけ鏡台を買い与えたことには何か関係があったのだろうか。

真っ白に塗りつぶされた鏡台はその数年後の引っ越しの際処分した。外国映画のようなインテリアへの憧れというのはほんの口実で、母は実のところ、鏡台にまつわる記憶を真っ白にリセットしたかっただけなのかもしれない。

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